白川城跡(搦目城)
搦城址(白河古城)
昭和初期のガイド文
白河駅の東南約3km、自動車の便あり、大沼村搦目集落西端の丘陵付近を搦城址と伝えています。この城は結城氏の居城で、鎌倉時代の正応2年(1289年)になり、吉野時代には宗広がここを拠点として皇室に尽し義良親王を迎え奉ったことがあります。後永禄年間(1558~1570年)に至り小峰氏が結城氏を破り新たに小峰城を営んだ結果、ついに廃滅となりました。現在その丘陵の断崖となる岩壁には松平定信筆の「感忠銘」と題する巨大な磨崖碑があります。これは結城宗広の忠節を頌したものです。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 白川城跡(搦目城)
- かな
- しらかわじょうあと(からめじょう)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県白河市藤沢山
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の東南約三粁、自動車の便あり、大沼村搦目部落西端の丘陵附近を搦城址と傳へて居る。この城は結城氏の居城で、正應二年に成り、吉野時代には宗廣がこれに據つて皇室に盡し義良親王を迎へ奉つたことがあつた。後永祿年閒に至り小峰氏が結城氏を侵し新に小峰城を營んだ結果、遂に廢滅に歸した。今その丘陵の斷崖をなす岩壁には松平定信筆の「感忠銘」と題する巨大な磨崖碑がある、これは結城宗廣の忠節を頌したものである。