白河小峰城跡
小峰城址
昭和初期のガイド文
白河駅の北に接し阿武隈川の南岸に近い丘陵地にあります。現在残存する部分は約300m²、主として本丸、二ノ丸の遺跡で、石垣、濠などが残っていて主要部の規模がうかがわれます。本丸の入口清水門跡には「小峰城址」の石柱があり、八幡台と呼ぶ最高所は明治9年(1876年)東北御巡幸の際の御野立所で石標が建てられています。ここは白河の市街が一目に見下され遠く那須岳の全景、近く阿武隈川の上流を眺め、付近には桜樹が多いところです。
城はもと結城氏の拠点としたところで、江戸時代前期の寛永5年(1628年)丹羽長重が棚倉から転じて来た際、規模を改め拡張して近世式城郭を造営したもので、今日残存するものはその遺跡です。戊辰戦争では会津兵がここを拠点として官軍に抵抗しましたが、陥落とともに打ち壊されました。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 白河小峰城跡
- かな
- しらかわこみねじょうあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県白河市郭内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の北に接し阿武隈川の南岸に近い丘陵地にある。今殘存せる部分は方約三〇〇米、主として本丸、二ノ丸の遺址で、石垣、濠などが存して居て主要部の規模が窺はれる。本丸の入口淸水門址には「小峰城址」の石柱があり、八幡臺と呼ぶ最高所は明治九年東北御巡幸の際の御野立所で石標が建てられて居る。こゝは白河の市街が一目に見下され遠く那須嶽の全景、近く阿武隈川の上流を眺め、附近には櫻樹が多い。
城はもと結城氏の據つた處で、寬永五年丹羽長重が棚倉から轉じて來た際、規模を改め擴張して近世式城郭を經營したもので、今日殘存のものはその遺址である。戊辰の役には會津兵がこゝに據つて官軍に抗したが、陷落と共に慶毀せられた。