和霊神社
和靈神社[縣社]
昭和初期のガイド文
宇和島駅の北約0.5km、八幡、字鎌江にあり、山家公頼を祀り俗に「和霊さま」と呼んで賽客が多いところです。公頼は別名清兵衛、伊達政宗の臣で、伊達秀宗がこの地に封ぜられるに際し、家老として秀宗の身上を委ねられてこの地に来り、精励治を図りましたが、悪い家臣の企みに遭ってついに斬殺され、悲壮の最期を遂げました。7月23日の夏季大祭には京阪、九州、四国一円からの参拝者があり、全市を挙げて非常な賑わいを呈します。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 和霊神社
- かな
- われいじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 昭和20年(1945年)の空襲により焼失、現在の社殿は戦後の再建です。
- 住所
- 愛媛県宇和島市和霊町1451
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の北約半粁、八幡、字鐮江にあり、山家公賴を祀り俗に「和靈さま」と呼んで賽客が多い。公賴は別名淸兵衞、伊達政宗の臣で、伊達秀宗がこの地に封ぜらるゝに際し、家老として秀宗の身上を委ねられてこの地に來り、精勵治を圖つたが、佞臣の讒に遭うて遂に斬殺され、悲壯の最期を遂げた。七月廿三日の夏季大祭には京阪、九州、四國一圓からの參拜者あり、全市を擧げて非常な賑ひを呈する。