宇和島市

宇和島市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

南予の中心地で、湾入深い宇和島湾の最奥に位置しています。前面即西には宇和島湾に浮かぶ数多の島嶼を控え、南東北の三面は山嶺を巡らし、須賀川は市を東西に貫流しています。安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)には戸田勝隆が板島丸串城を築きましたが、江戸時代に伊達政宗の子秀宗がここに封ぜられて以来明治維新まで、伊達氏十万石の城下として成長し、市街の中央に屹立する城山を囲んで人家が集まりました。近年交通の便ひらけ、諸工業の勃興とともに発展著しく、大正10年(1921年)から市制を布き、人口今や4万5,000人におよびました。繁華な通りは追手通および袋町です。

産業としては生糸紡績が最も盛んで、年産額500万円あまりあり、綿織物も産出が多いところです。また醤油、酒、焼酎の醸造、蒲鉾の製造も少なくありません。商取引は繭、生糸、木材の集散が著しく、この地を中心として取引される御荘半は古くから知られています。この半は在来種と外国種との雑種であるといいます。

宇和島線は市の東北部鶴島町を起点として東吉野生に達していますが、いまだ一小地方の開発と交通に便しているのみで、陸運は大体自動車に依頼しています。すなわち宇和島から北八幡浜、松山へ、南南宇和郡一本松村(高知県境)に通じる定期乗合自動車がそれです。

陸運が長く未発達であったために、海運は至極便利で、宇和島運輸経営の阪神、九州の諸港、下関宇部、高知に至る各航路があり、各線毎日発着して貨客の出入に便しています。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
宇和島市
かな
うわじまし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
愛媛県宇和島市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

南豫の中心地で、灣入深き宇和島灣の最奧に位して居る。前面卽西には宇和島灣に泛ぶ數多の島嶼を控へ、南東北の三面は山嶺を繞し、須賀川は市を東西に貫流して居る。天正年閒には戶田勝隆が板島丸串城を築いたが、江戶時代に伊達政宗の子秀宗こゝに封ぜられて以來明治維新まで、伊達氏十萬石の城下として成長し、市街の中央に屹立する城山を圍繞して人家が集まつた。近年交通の便ひらけ、諸工業の勃興と共に發展著しく、大正十年から市制を布き、人口今や四萬五千に及んだ。繁華な通は追手通及袋町である。

產業としては生絲紡績が最も盛んで、年產額五百萬圓餘あり、綿織物も產出が多い。また醤油、酒、燒酎の釀造、蒲鉾の製造も少くない。商取引は繭、生絲、木材の集散著しく、この地を中心として取引される御莊半は古くから知られて居る。この半は在來種と外國種との雜種であると云ふ。

宇和島線は市の東北部鶴島町を起點として東方吉野生に達して居るが、未だ一小地方の開發と交通に便して居るのみで、陸運は大體自動車に依賴して居る。卽ち宇和島から北方八幡濱、松山へ、南方南宇和郡一本松村(高知縣境)に通ずる定期乘合自動車がそれである。

陸運が永らく未發達であつただけに、海運は至極便利で、宇和島運輸會社經營の阪神、九州の諸港、下關宇部、高知に至る各航路があり、各線每日發着して貨客の出入に便して居る。

宇和島のみどころ