佛通寺

佛通寺[臨濟宗佛通寺派大本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

本郷駅の東北7km、高坂村許山にあります。臨済宗十四本山のひとつで安芸の高野山と称せられます。境内には幹囲2mを超える三本杉をはじめ、大樹老木が多く、谷迫り、山秀で、崖峙ち、幽寂な景致をなしています。寺は室町時代の応永4年(1397年)小早川美作守春本の創建で、愚中周及禅師(仏徳大通禅師)をもって開山としています。春平は深く禅師に帰依して精舎を建立して禅師を招き、禅師すなわち師の仏通禅師を勧請開山として自ら第2世となりました。永禄年間(1558~1570年)小早川隆景が大いに殿宇を造営し、福島正則もまた僧坊を修造しましたが、江戸時代後期の寛政7年(1795年)火災に遭い、文化5年(1808年)、松平安芸守斉賢によって再興されました。維新後頽廃しましたが現存の4院2庵は浅野氏の改修になるものです。仏殿に本尊華厳会釈迦牟尼如来を安置し方丈(観自堂)、庫裡(喜悦堂)、禅堂(歇得堂)、祠堂等の諸堂宇があり、法輪蔵は東陽和尚の創建で明の崇禎版一切経、続蔵等の全部を蔵め、叢林禅慧大士不増不滅童子を本尊とします。開山堂は禅堂の東方山上にあり、含暉亭とも呼び、開山の塔所で、堂内正面に開山愚中禅師像ならびに即休禅師像を安置し、左右両側に小早川、浅野両家の位牌を安んじています。境内は古松老杉が多く中国径山の含暉亭に似ていることから名付けられたといいます。

  • 宝物
  • 大通禅師像[国宝] 絹本著色 1幅
  • 大通禅師墨蹟[国宝] 紙本墨書 1幅 丁亥四月一日とあります。
  • 大通禅師消息[国宝] 紙本墨書 1幅 12月15日の日付があります。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
佛通寺
かな
ぶっつうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県三原市高坂町許山22
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

本鄕驛の東北七粁、高坂村許山にある。臨濟宗十四本山の一で安藝の高野山と稱せらる。境內には幹圍二米を超ゆる三本杉を初め、大樹老木多く、谷迫り、山秀で、崖峙ち、幽寂なる景致をなして居る。寺は應永四年小早川美作守春本の創建で、愚中周及禪師(佛德大通禪師)を以て開山とする。春平深く禪師に歸依して精舍を建立して禪師を請ず、禪師卽ち師の佛通禪師を勸請開山として自ら第二世に居る。永祿年閒小早川隆景大いに殿宇を造營し、福島正則また僧坊を修造したが、寬政七年回祿し、文化五年、松平安藝守齊賢によつて再興された。維新後頽廢したが現存の四院二庵は淺野氏の改修にかゝるものである。佛殿に本尊華嚴會釋迦牟尼如來を安置し方丈(觀自堂)、庫裡(喜悅堂)、禪堂(歇得堂)、祠堂等の諸堂宇あり、法輪藏は東陽和尙の創建で明の崇禎版一切經、續藏等の全部を藏め、叢林禪慧大士不增不滅童子を本尊とする。開山堂は禪堂の東方山上にあり、含暉亭とも呼び、開山の塔所で、堂內正面に開山愚中禪師像竝に卽休禪師像を安置し、左右兩側に小早川、淺野兩家の位牌を安んじて居る。境內古松老杉多く支那徑山の含暉亭に似たるによりて名付けたと云ふ。

  • 寶物
  • 大通禪師像[國寶] 絹本著色 一幅
  • 大通禪師墨蹟[國寶] 紙本墨書 一幅 丁亥四月一日とある。
  • 大通禪師消息[國寶] 紙本墨書 一幅 十二月十五日の日付がある。

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