米山寺
米山寺[曹洞宗]
昭和初期のガイド文
本郷駅の東南2km、沼田東村納所にあります。平安時代の仁平3年(1153年)誓願禅師の開基で、後に、土肥実平入道がこの寺に入り没しました。小早川茂平が諸伽藍を建立し巨真山寺と名付け、鎌倉時代の嘉禎4年(1238年)一条入道が不断念仏堂を建てました。小早川宣平の七男応庵和尚が住持となり臨済宗とし、巨真寺と号しましたが、後に隆景が米山寺と改めました。安土桃山時代の慶長7年(1602年)火災に遭ったのを江戸時代中期の元禄の初年(1688年)、慈雲和尚が再興して曹洞とし、延享4年(1747年)万貞和尚の時にすべて復旧したといいます。
- 宝物
- 小早川隆景像[国宝] 絹本著色 1幅 中啓を持ち黒の袍を着て座る位官束帯の像で、文禄3年(1594年)の賛があります。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 米山寺
- かな
- べいさんじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 広島県三原市沼田東町納所460
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
本鄕驛の東南二粁、沼田東村納所にある。仁平三年誓願禪師の開基にして、後、土肥實平入道してこの寺に入り歿した。小早川茂平諸伽藍を建立し巨眞山寺と號し、嘉禎四年一條入道、不斷念佛堂を建てしめた。小早川宣平の七男應庵和尙住持となり臨濟宗となし、巨眞寺と號したが、後隆景米山寺と改めた。慶長七年回祿したのを元祿の初年、慈雲和尙再興して曹洞となし、延享四年萬貞和尙の時に悉く復舊したと云ふ。
- 寶物
- 小早川隆景像[國寶] 絹本著色 一幅 中啓を持ち黑の袍を著て坐せる位官束帶の像で、文祿三年の贊がある。