小早川隆景墓

小早川隆景墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

米山寺門外にある小早川氏歴代墓と称する宝篋印塔のうちの1基で、隆景は毛利元就の子吉川元春の弟にあたり、父および毛利輝元を支え、毛利氏の力となりました。豊臣秀吉の知遇を得、朝鮮役に碧蹄館に勇戦し、秀吉の族子秀秋を養って跡継ぎとし、晩年は三原城にいて慶長2年(1597年)亡くなりました。明治41年(1908年)正四位を贈られました。隆景を祭った神社に賀茂郡荘野村の和賀神社[県社]があります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
小早川隆景墓
かな
こばやかわたかかげはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県三原市沼田東町納所460 米山寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

米山寺門外にある小早川氏歷代墓と稱する寶篋印塔のうちの一基で、隆景は毛利元就の子吉川元春の弟にあたり、父及毛利輝元を輔けて、毛利氏の强をなした。豐臣秀吉の知遇を得、朝鮮役に碧蹄館に勇戰し、秀吉の族子秀秋を養ひて嗣となし、晚年三原城に居り慶長二年薨じた。明治四十一年正四位を贈らる。隆景を祭つた神社に賀茂郡莊野村の和賀神社[縣社]がある。

三原のみどころ