浄土寺

淨土寺[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

尾道駅の東約2km、市内尾崎町瑠璃峯の麓にあり、付近まで自動車の便があります。

この寺は往時高野山の寺領に創建され、後に大きく衰退したのを鎌倉時代の嘉元年間(1303~1306年)定証によって再興され、金堂、食堂、五重塔以下諸堂を完備しましたが、正中2年(1325年)災に罹り嘉暦貞和の際に修築して旧態に復しました。建武3年(1336年)足利尊氏が西走の途中この寺を宿として祈願をこめ、後に大軍を率いて東上の時再び参詣して法楽和歌を献じました。後、尊氏直義等が寺領を寄進し堂塔を修理しました。元弘の綸旨以下古文書、古経、書画類を多く蔵しています。現存堂宇の古いものは鎌倉時代の末から室町時代のはじめにかけて造営されたもので本堂、阿弥陀堂、多宝塔があり、その他近世の再建となる文殊堂、開山堂、護摩堂、経堂、書院、庫裏、勅使門、鐘楼など多数の堂宇が軒をつらね、後に浄土寺山を背負い、前面碧潭に臨み、非常に景勝の地を占めています。

本堂(金堂)[国宝] 五間五面、単層屋根入母屋造、本瓦葺の建築にして、正面に一間の向拝を付し、内外陣仕切の柱間はすべて蔀格子を設けています。本建築は和様に多くの唐様を混在させ嘉暦2年(1327年)の建立で鎌倉末期の手法を示しています。

十一面観音立像[国宝] 本堂安置の本尊一木造等身大の像で、左手に華瓶を執り、右手に施無畏の印を結んでいます。面相豊満にして雄健な体軀を備えた平安時代の優秀な作です。

阿弥陀堂(本堂)[国宝] 本堂の側にあり、五間四面、単層屋根四注造本瓦葺、室町時代の康永4年(1345年)の建築で、桝組に出三斗を用い、屋根の流れは長く緩かで隅棟に反転があります。内部は床総板敷で天井は化粧屋根裏に格天井を併用し、貫下の双斗蟇股には奇抜な意匠を施しています。堂の内外ともに和様唐様の調和を保ち、外観はバランスよく整備され、鎌倉時代の風調を残す室町初期の好建築です。

多宝塔[国宝] 阿弥陀堂の東側に建っています。鎌倉時代の元徳元年(1329年)の造営となり、方三間二層塔婆、屋根本瓦葺、桝組は二手先を用い、枇杷板には雲文の彩絵を施し、蟇股内には蓮華唐草の彫刻を狭めるなど非常に装飾を凝らし、形式手法にはよく鎌倉時代の精神が発揮されていますが、全体の形にはやや整っていない部分があります。内部中央の四天柱は黒塗、天井は折上げ格天井で彩色を施しています。

なお周囲の腰長押上の羽目には八祖像の貼付絵があります。

  • 宝物
  • 聖徳太子立像[国宝] 1体 木造、玉眼極彩色、高さ114cm、柄香炉を持つ像です。
  • 聖徳太子立像[国宝] 1体 木造、高さ約152cm、姿は前者とほぼ同じく足の柄に乾元2年(1303年)の銘があります。製作年代も近いもので、ともに鎌倉末期の様式を示しています。両像はもと開山堂に安置されていましたが、現在は庫裏に安置されています。
  • 観世音法楽和歌[国宝] 1巻 紙本墨書、建武3年足利尊氏が九州から攻め上る途中、その一族将士とともにこの寺に詣で、本尊十一面観世音の法楽のために普門品念彼偈を分かって題として詠んだもので、同年5月5日尊氏の証判があります。彼の詠んだ歌は弘智深如海で わたつ海のふかきちかひのあまねさにたのみをかくるのりのふねかな
  • 法華経巻第七[国宝] 1巻 紺紙金銀泥、天暦3年(949年)の奥書があります。
  • 浄土寺文書[国宝] 1巻 紙本墨書、建武4年寺領注文1通、尊氏寄進状ほか9通あり、尊氏の寄進状は備後国利生塔を寄進したものです。
  • 定証起請文[国宝] 1巻 紙本墨書、奥に「嘉元四年歳次丙午十月十八日沙門定証」とあります。

境内に、弘安元年(1278年)および貞和4年(1348年)の刻銘のある古石塔があります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
浄土寺多宝塔

令和に見に行くなら

名称
浄土寺
かな
じょうどじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県尾道市東久保町20-28
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東約二粁、市內尾崎町瑠璃峯の麓にあり、附近まで自動車の便がある。

當寺は往時高野山の寺領に創建せられ、後いたく衰退したのを嘉元年閒定證によつて再興され、金堂、食堂、五重塔婆以下諸堂を完備したが、正中二年災に罹り嘉曆貞和の際重修して舊に復した。建武三年足利尊氏西走の途中寺に宿りて祈願をこめ、後大軍を率ゐて東上の時再び參詣して法樂和歌を獻じた。後、尊氏直義等寺領を寄進し堂塔を修理した。元弘の綸旨以下古文書、古經、書畫類を多く藏して居る。現存堂宇の古きものは鐮倉時代の末から室町時代のはじめにかけて造營されたもので本堂、阿彌陀堂、多寶塔があり、その他近世の再建にかゝる文殊堂、開山堂、護摩堂、經堂、書院、庫裏、敕使門、鐘樓等多數の堂宇軒をつらね、後に淨土寺山を負ひ、前面碧潭に臨み、頗る景勝の地を占めて居る。

本堂(金堂)[國寶] 五閒五面、單層屋根入母屋造、本瓦葺の建築にして、正面に一閒の向拜を附し、內外陣仕切の柱閒はすべて蔀格子を設けて居る。本建築は和樣に多くの唐樣を混じ嘉曆二年の建立で鐮倉末期の手法を示して居る。

十一面觀音立像[國寶] 本堂安置の本尊一木造等身大の像で、左手に華甁を執り、右手に施無畏の印を結んで居る。面相豐滿にして雄健な體軀を備へた平安時代の優秀な作である。

阿彌陀堂(本堂)[國寶] 本堂の側にあり、五閒四面、單層屋根四注造本瓦葺、康永四年の建築で、桝組に出三斗を用ゐ、屋根の流れ長く緩かにして隅棟に反轉がある。內部は床總板敷にして天井は化粧屋根裏に格天井を倂用し、貫下の雙斗蟇股には奇拔な意匠を施して居る。堂の內外共に和樣唐樣の調和を保ち、外觀整備し權衡よろしく、鐮倉時代の風調を存する室町初期の好建築である。

多寶塔[國寶] 阿彌陀堂の東側に建つて居る。元德元年の造營にかゝり、方三閒二層塔婆、屋根本瓦葺、桝組は二手先を用ゐ、枇杷板には雲文の彩繪を施し、蟇股內には蓮華唐草の彫刻を狹めるなど頗る裝飾を凝らし、形式手法よく鐮倉時代の精神を發揮せるも、全體の形には稍々整はざるものがある。內部中央の四天柱は黑塗、天井は折上げ格天井で彩色を施して居る。

尙周圍の腰長押上の羽目には八祖像の貼付繪がある。

  • 寶物
  • 聖德太子立像[國寶] 一軀 木造、玉眼極彩色、高さ三尺、柄香爐を持つ像である。
  • 聖德太子立像[國寶] 一軀 木造、高さ約四尺、姿は前者と略同じく足の柄に乾元二年の銘がある。製作年代も近いもので、共に鐮倉末期の樣式を示して居る。兩像もと開山堂に安置されて居たが、今は庫裏に安置されて居る。
  • 觀世音法樂和歌[國寶] 一卷 紙本墨書、建武三年足利尊氏が九州から攻め上る途中、その一族將士と共にこの寺に詣で、本尊十一面觀世音の法樂の爲に普門品念彼偈を分ちて題として詠んだもので、同年五月五日尊氏の證判がある。彼の詠んだ歌は弘智深如海で わたつ海のふかきちかひのあまねさにたのみをかくるのりのふねかな
  • 法華經卷第七[國寶] 一卷 紺紙金銀泥、天曆三年の奧書がある。
  • 淨土寺文書[國寶] 一卷 紙本墨書、建武四年寺領注文一通、尊氏寄進狀外九通あり、尊氏の寄進狀は備後國利生塔を寄進したものである。
  • 定證起請文[國寶] 一卷 紙本墨書、奧に「嘉元四年歲次丙午十月十八日沙門定證」とある。

境內に、弘安元年及貞和四年の刻銘のある古石塔がある。

尾道のみどころ