西國寺

西國寺[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

尾道駅の東北約2km、市内久保町、愛宕山の山腹景勝の地にあり、付近まで自動車の便があります。

この寺は奈良時代の天平年間(729~749年)行基菩薩の創建と伝わります。平安時代の治暦2年(1066年)火災に遭い、永保2年(1082年)仁和寺性信親王の弟子慶鑁僧正が白河天皇の勅によって再興し、代々勅願寺となりました。鎌倉時代の正和年間(1312~1317年)花園院から尾道浦を寄進され、堂宇は室町時代の至徳3年(1386年)から永享4年(1432年)に至る間に再建されました。今なお金堂、三重塔をはじめ、大師堂、弥勒堂、毘沙門堂、護摩堂、客殿、庫裏等が甍を並べ、この地方における著名な寺院です。

金堂[国宝] 五間五面、単層、屋根入母屋造、本瓦葺の建築にして室町初期の風格を残し、規模壮大、手法また雄健です。内部の須弥壇および厨子の製作はまた非常に優秀です。厨子内安置の本尊木造薬師如来坐像は国宝で、永保の頃再興当時の作と思われる優秀な遺品です。

三重塔[国宝] 方三間三層朱塗の塔婆で、永享4年足利義教の建立と伝え、寺に僧宥尊の勧進状が残っています。形態整美、構造装飾よく室町時代の特色を発揮しています。下層に廻椽をめぐらさず、地長押が直ちに石壇上に置かれていることは奈良時代の古式を伝えたもので、この時代の建築には稀に見るところです。

内部は須弥壇の四天柱をはじめ軸部、天井等に朱塗あるいは極彩色の装飾を施しています。

  • 宝物
  • 釈迦如来立像[国宝] 1体 木造、高さ約95cm、面貌姿態は豊麗、衣文の流れに総合諧調の美を示しています。作者を安阿弥と伝えていますが鎌倉末期における安阿弥流の作です。
  • 五鈷鈴[国宝] 1口 銅製、高さ約27cm、僧空海の将来と伝え、胴のまわり6面に二仏および四天を半肉に鋳出し、柄に蓮華を刻み、獅子が五鈷の爪を吐く形にしたもの、製作精巧で明らかに晩唐の作です。
  • 錫杖[国宝] 1柄 銅製、全長柄とも51cm、互いに背を向けた双竜を纏綿とした輪の頂上に三化仏を載せた珍しいもので、これも晩唐の作と思われます。
  • 金光明最勝王経[国宝] 10巻 紫紙金泥 平安朝の写経で首尾完全としていて、文字正楷優麗、この種の写経の秀逸なものです。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
西國寺釈迦像

令和に見に行くなら

名称
西國寺
かな
さいこくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県尾道市西久保町29-27
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東北約二粁、市內久保町、愛宕山の山腹景勝の地にあり、附近まで自動車の便がある。

當寺は天平年閒行基菩薩の創建と傳ふ。治曆二年火災にかゝり、永保二年仁和寺性信親王の弟子慶鑁僧正白河天皇の敕によつて再興し、世々敕願寺となつた。正和年閒花園院より尾道浦を寄せられ、堂宇は至德三年から永享四年に至る閒に再建された。今尙金堂、三重塔婆をはじめ、大師堂、彌勒堂、毘沙門堂、護摩堂、客殿、庫裏等甍を竝べ、この地方に於ける著名な寺院である。

金堂[國寶] 五閒五面、單層、屋根入母屋造、本瓦葺の建築にして室町初期の風格を存し、規模壯大、手法また雄健である。內部の須彌壇及厨子の製作また頗る優秀である。厨子內安置の本尊木造藥師如來坐像は國寶にして、永保の頃再興當時の作と思はれる優秀な遺品である。

三重塔婆[國寶] 方三閒三層朱塗の塔婆で、永享四年足利義敎の建立と傳へ、寺に僧宥尊の勸進狀を存して居る。形態整美、構造裝飾よく室町時代の特色を發揮して居る。下層に廻椽をめぐらさず、地長押が直ちに石壇上に置かれて居ることは奈良時代の古式を傳へたもので、この時代の建築には稀に見る所である。

內部は須彌壇の四天柱をはじめ軸部、天井等に朱塗或は極彩色の裝飾を施して居る。

  • 寶物
  • 釋迦如來立像[國寶] 一軀 木造、高さ約二尺五寸、面貌姿態豐麗、衣文の流れに綜合諧調の美を示して居る。作者を安阿彌と傳へて居るが鐮倉末期に於ける安阿彌流の作である。
  • 五鈷鈴[國寶] 一口 銅製、高さ約七寸、僧空海の將來と傳へ、胴のまはり六面に二佛及四天を半肉に鑄出し、柄に蓮華を刻み、獅子五鈷の爪を吐く形にせるもの、製作精巧明に晚唐の作である。
  • 錫杖[國寶] 一柄 銅製、全長柄とも一尺三寸四分相背ける雙龍を纏綿せしめたる輪の頂上に三化佛を載せた珍らしいもので、これも晚唐の作と思はれる。
  • 金光明最勝王經[國寶] 十卷 紫紙金泥 平安朝の寫經で首尾完全し、文字正楷優麗、この種寫經の秀逸なものである。

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