千光寺

千光寺[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

尾道駅の東北約1km、市内土堂町大宝山にあります。平安時代の大同元年(806年)の開基、多田満仲の宿願によって再興されたといいます。磊塊たる巌石の間に大悲閣、護摩堂その他の堂宇があります。本尊は千手観音で、満仲の守本尊と伝わっています。堂側に玉の岩と称される巨岩があって、烏帽子岩あるいは宝珠岩とも呼ばれます。また㾱紅碑という碑があって、文は田能村竹田ほか3人の合作と称されます。このほか寺内に種々の墓碑があります。

大宝山中腹一帯の地は千光寺公園と呼ばれ、はるかに内海の諸島、予讃を望むことができ、市民の遊覚場所で、梅、桜、フジ、ボタン、ショウブ、紅葉等があり、夜桜が特によく、グラウンドもあります。寺後の千畳敷は戦国時代尾道六郎の城があったところと伝えられ、眺望はさらによいところです。ここから遊覧道路を下れば、重岩、屏風岩、鼓岩、岩割松等が見られます。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
千光寺
かな
せんこうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県尾道市東土堂町15-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東北約一粁、市內土堂町大寶山にある。大同元年の開基、多田滿仲の宿願に依つて再興されたと云ふ。磊塊たる巖石の閒に大悲閣、護摩堂その他の堂宇がある。本尊は千手觀音で、滿仲の守本尊と傳へる。堂側に玉の岩と稱される巨岩があつて、烏帽子岩或は寶珠岩とも呼ばれる。また㾱紅碑と云ふ碑があつて、文は田能村竹田外三人の合作と稱される。この外寺內に種々の墓碑がある。

大寶山中腹一帶の地は千光寺公園と呼ばれ、遙に內海の諸島、豫讃を望むことを得、市民の遊覺場所で、梅、櫻、藤、牡丹、菖蒲、紅葉等があり、夜櫻が殊によく、グラウンドもある。寺後の千疊敷は戰國時代尾道六郞の城があつたところと傳へられ、眺望は更によい。こゝから遊覽道路を下れば、重岩、屏風岩、鼓岩、岩割松等が見られる。

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