圀勝寺

國勝寺[眞言宗御室派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

井笠鉄道矢掛駅の東3.5km、三谷村東三成にあります。もと地蔵院と呼びましたが、江戸時代中期の元禄12年(1699年)村内の谷川内で吉備真備の祖母の在銘骨蔵銅器を発掘し、領主板倉重喬が、新たに槨を作って地蔵院に安置し、銅器に下道圀勝の銘文があることから寺号を圀勝寺と改めました。その後享保12年(1727年)6月嗣主板倉信昌の時、境内西北隅に小祠を建てて遺骨を安置し、翌13年(1728年)光助霊神と号しました。銅器は寺宝となっていて総高22cm、身部口径26cmあまり、高さ20cmあまり、蓋は長いつまみをもつ被せ蓋で直径30cm、高さ8cm。蓋の表面に施された二重圏のうちに次の47字の銘文があります。

銘 下道圀勝弟圀依朝臣右二人母夫人之骨蔵器故知後人明不可移破 以和銅元年歳次戊申十一月廿七日己酉成

圀勝は吉備真備の父ですからこの壺は真備の祖母の骨蔵器ということになります。銘文は上野国多胡碑と同じく六朝風の雄勁な書体をもって刻記されています。元禄12年(1699年)村民の発掘となり、内部に遺骨が残っていました。この銅壺に附属して墓甎が1枚あり、明治初年(1868年)墳墓北の地点から偶然発掘されたものといい、赤褐色で幅14cm、厚さ4cmあり、長さ20cmを現存し、下部は欠損していますが銘文は読むことができます。

銅壺ならびに墓甎ともにいずれも現在国宝に指定されています。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
圀勝寺
かな
こくしょうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県小田郡矢掛町東三成1344
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

井笠鐵道矢掛驛の東三粁半、三谷村東三成にある。もと地藏院と呼んだが、元祿十二年村內の谷川內に於て吉備眞備の祖母の在銘骨藏銅器を發掘し、領主板倉重喬、新に槨を作りて地藏院に安置し、銅器に下道國勝の銘文あるに依りて寺號を國勝寺と改めた。その後享保十二年六月嗣主板倉信昌の時、境內西北隅に小祠を建てゝ遺骨を安置し、翌十三年光助靈神と號した。銅器は寺寶となつて居て總高五寸七分、身部口徑六寸八分餘、高さ五寸二分餘、蓋は長い撮みを有する被せ蓋で徑七寸八分、高さ二寸一分。蓋の表面に施された二重圈のうちに左の四十七字の銘文がある。

銘 下道圀勝弟圀依朝臣右二人母夫人之骨藏器故知後人明不可移破 以和銅元年歲次戊申十一月廿七日己酉成

圀勝は吉備眞備の父であるからこの壺は眞備の祖母の骨藏器に外ならない。銘文は上野國多胡碑と同じく六朝風の雄勁な書體を以て刻記されて居る。元祿十二年村民の發掘にかゝり、內部に遺骨が存して居た。この銅壺に付屬して墓甎一枚あり、明治初年墳墓北方の地點から偶然に發掘したものと云ひ、赤褐色で幅三寸六分、厚さ一寸あり、長さ五寸二分を現存し、下部缺損して居るが銘文が讀まれる。

銅壺竝に墓甎共に何れも今國寶に指定されて居る。

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