日向国分寺跡
日向國分寺址
昭和初期のガイド文
妻線妻駅の西南1km、三宅神社の東南、妻町三宅の台地で国分と呼ぶ地に金堂跡および講堂跡と推定される土壇跡が遺存し、礎石も残存していますが、奈良時代およびそれ以後の古瓦を出土しています。付近の小堂内には寛政中木喰上人が巡錫の際この寺を再興して自ら刻んだという五智如来像を安置します。尼寺跡は妻中学校敷地となって、遺跡は失われました。また国分寺跡から南0.5km、三宅の大王馬場と呼ばれる畑地は国府跡と伝え布目瓦の出土があります。国府跡からさらに南に印鑰神社があります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 日向国分寺跡
- かな
- ひゅうがこくぶんじあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 宮崎県西都市三宅3216-5
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
同妻驛の西南一粁、三宅神社の東南、妻町三宅の臺地で國分と呼ぶ地に金堂址及講堂址と推せられる土壇址が遺存し、礎石の殘存するが、奈良時代及それ以後の古瓦を出土して居る。附近の小堂內には寬政中木喰上人が巡錫の際この寺を再興して自ら刻んだと云ふ五智如來像を安置する。尼寺址は妻中學校敷地となりて、遺址は失はれた。また國分寺址から南半粁、三宅の大王馬場と呼ばれる畑地は國府址と傳へ布目瓦の出土がある。國府址から更に南に印鑰神社がある。