鶴林寺

鶴林寺(刀田山)[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

加古川駅の南2km、加古川町北在家にあり、自動車の便があります。戸田太子堂と呼ばれ、用明天皇の12年聖徳太子が造営されたところと伝え、古来この地方の名刹です。仁王門を入ると正面に本堂があり、左手には三重塔、新薬師堂、常行堂があり、また右手には太子堂およびその後方に鐘楼および護摩堂があります。

本堂[国宝] 七間六面、単層屋根入母屋造、本瓦葺の建築です。桝組は和様三手先を用い、尾棰を加え、枡組の間に板蟇股の付いた唐様の双斗を置いているのが珍しいものです。周囲に廻縁をめぐらし、扉はすべて桟唐戸を用い、内部は周囲一間通りを化粧屋根裏とし、その他は組入天井になっています。内陣の中央には禅宗風の須弥壇があり、その上に宮殿形の厨子を設け、本尊薬師像および脇侍日光、月光像が安置されています。宮殿の棟札に播州鶴林寺大講堂宮殿上棟応永四年卯月十五日とあるので、建築の年代が明らかとなっています。本堂の建築様式もこの宮殿と同様であるので、本堂の建築も同時代のものであることがわかります。

太子堂[国宝] 方三間、単層、屋根宝形造、檜皮葺の小建築ですが藤原時代の遺構です。南側の廂は後世付加したもので屋根に異様な変化を与えています。床は板張りとし、天井は小組格天井になっています。中央には仏壇を設け国宝の釈迦文殊普賢の三尊を安置しています。いずれも木造漆箔、堂と同時代の作と思われます。須弥壇の柱および四方の板壁にはもと壁画があった痕跡があるものの剥落が激しく図様はまったく不明です。なお本堂内には国宝の春日厨子が納められています。木造髹漆、江戸初期の精巧な作です。

鐘楼[国宝] 三間二面、重層、袴腰、屋根入母屋造、本瓦葺の建築で形状よく整い、室町時代の応永14年(1407年)に再建されたものです。この鐘楼には国宝の朝鮮鐘がかかっています。

護摩堂[国宝] 三間三面単暦、屋根入母屋造で肘木桝組等を用いない、平安時代の永保2年(1082年)建立の建築です。

常行堂[国宝] 桁行三間、梁間四間、単層、屋根四注造本瓦葺妻入の建築で、舟肘木を用い、正面一間通の柱間は吹き放しになっています。構造は非常に自由で優美の風を帯び、藤原末期の建築です。

三重塔 方三間朱塗の塔で唐様の桝組を用い、胡粉彩色を施した江戸末期の建築です。

行者堂[国宝] 三重塔の後方松林中にあります。一間社前面春日造様の建築で、もと鎮守山王権現を祀ったもので室町時代の小建築です。宝物館は常行堂の後方にあり、次に陳列品の主なものを列挙します。

  • 聖観音立像[国宝] 1体 金鋼製 110cm 唐風仏像の様式を伝えた作で、腰をやや捻って立っています。その姿態流麗にして手法円熱、奈良朝初期の優秀な作です。蓮座は鉄製にして後世のものと思われます。
  • 十一面観音立像[国宝] 1体 木造漆箔、左の前腕および右手欠失、高さ212cm、両足は著しく小さく、形態にやや古拙なところあるものの刀法遒勁にして平安初期の作です。
  • 聖徳太子絵像[国宝] 8幅 絹本著色、縦170cm、幅98cm、土佐派の筆致を伝えた室町初期の作です。
  • 慈恵大師像[国宝] 1幅 絹本著色、曼荼羅式に描いたもので室町時代の作と思われます。
  • 阿弥陀三尊像[国宝] 1幅 絹本著色、堅152cm、横83cm、中尊は坐像で朱色の衣を著し脇侍は立像で、高麗末期の朝鮮画です。
  • 鶴林寺扁額[国宝] 1面 木造、鳥羽天皇宸筆と伝え、鶴林寺の三字を陰刻し、縁に雲竜の彫刻があります。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
鶴林寺聖観音像

令和に見に行くなら

名称
鶴林寺
かな
かくりんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県加古川市加古川町北在家424
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

加古川驛の南二粁、加古川町北在家にあり、自動車の便がある。世に戶田太子堂と稱し、用明天皇の十二年聖德太子の造營せしめ給ふ所と傳へ、古來この地方の名刹である。仁王門を入ると正面に本堂があり、左手には三重塔婆、新藥師堂、常行堂があり、また右手には太子堂及その後方に鐘樓及護摩堂がある。

本堂[國寶] 七閒六面、單層屋根入母屋造、本瓦葺の建築である。桝組は和樣三手先を用ゐ、尾棰を加へ、枡組の閒に板蟇股の附いた唐樣の雙斗を置いて居るのが珍らしい。周圍に廻緣をめぐらし、扉はすべて棧唐戶を用ゐ、內部は周圍一閒通りを化粧屋根裏とし、その他は組入天井になつて居る。內陣の中央には禪宗風の須彌壇があり、その上に宮殿形の厨子を設け、本尊藥師像及脇侍日光、月光像が安置されて居る。宮殿の棟札に播州鶴林寺大講堂宮殿上棟應永四年卯月十五日とあるので、建築の年代が明かに知られる。本堂の建築樣式もこの宮殿と同樣であるから、本堂の建築も同時代のものであることが判る。

太子堂[國寶]方三閒、單層、屋根寶形造、檜皮葺の小建築であるが藤原時代の遺構である。南側の廂は後世附加したもので屋根に異樣な變化を與へて居る。床は板張りとなし、天井は小組格天井になつて居る。中央には佛壇を設け國寶の釋迦文殊普賢の三尊を安置して居る。何れも木造漆箔、堂と同時代の作と思はれる。須彌壇の柱及四方の板壁にはもと壁畫のあつた痕跡あるも剥落甚しく圖樣全く不明である。尙本堂內には國寶の春日厨子が納められて居る。木造髹漆、江戶初期の精巧な作である。

鐘樓[國寶] 三閒二面、重層、袴腰、屋根入母屋造、本瓦葺の建築で形狀よく整ひ、應永十四年に再建されたものである。この鐘樓には國寶の朝鮮鐘がかゝつて居る。

護摩堂[國寶] 三閒三面單曆、屋根入母屋造で肘木桝組等を用ゐない、永保二年建立の建築である。

常行堂[國寶] 桁行三閒、梁閒四閒、單層、屋根四注造本瓦葺妻入の建築で、舟肘木を用ゐ、正面一閒通の柱閒は吹き放しになつて居る。構造頗る自由で優美の風を帶び、藤原末期の建築である。

三重塔婆 方三閒朱塗の塔婆で唐樣の桝組を用ゐ、胡粉彩色を施した江戶末期の建築である。

行者堂[國寶] 三重塔婆の後方松林中にある。一閒社前面春日造樣の建築で、もと鎭守山王權現を祀つたもので室町時代の小建築である。寶物館は常行堂の後方にあり、左に陳列品の主なるものを列擧する。

  • 聖觀音立像[國寶] 一軀 金鋼製 二尺九寸 唐風佛像の樣式を傳へた作で、腰を稍捻つて立つて居る。その姿態流麗にして手法圓熱奈良朝初期の優秀な作である。蓮座は鐵製にして後世のものと思はれる。
  • 十一面觀音立像[國寶] 一軀 木造漆箔、左の前腕及右手缺失、高さ五尺六寸、兩足著しく小さく、形態に稍々古拙な所あるも刀法遒勁にして平安初期の作である。
  • 聖德太子繪像[國寶] 八幅 絹本著色、竪四尺五寸、幅二尺六寸、土佐派の筆致を傳へた室町初期の作である。
  • 慈惠大師像[國寶] 一幅 絹本著色、曼荼羅式に描いたもので室町時代の作と思はれる。
  • 阿彌陀三尊像[國寶] 一幅 絹本著色、堅四尺、橫二尺二寸、中尊は坐像で朱色の衣を著し脇侍は立像で、高麗末期の朝鮮畫である。
  • 鶴林寺扁額[國寶] 一面 木造、鳥羽天皇宸筆と傳へ、鶴林寺の三字を陰刻し、緣に雲龍の彫刻がある。

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