灘五郷酒造地

灘五鄕酒產地
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

灘酒の沿革は寛永年間(1624~1644年)雑喉屋文右衛門が伊丹から西宮に移り、醸造を始めたのに始まるといわれます。すでに江戸時代の初めには堺、池田、伊丹地方は醸酒が盛んで丹醸の名がありました。灘酒の勃興とともに池田、伊丹は衰退しましたが、灘が今日の隆盛を見たのには池田、伊丹に負うところが多くありました。明治初年(1868年)一時衰退しましたが、同10年(1877年)西南役の頃から再興し、次第に醸造石高を増し、大正8年(1919年)には約60万石に至りました。

灘五郷と呼ばれる地は御影郷、今津郷、西宮郷、魚崎郷、西郷の地ですが、また狭義の灘の名称で御影魚崎、西郷地方を指し、西宮、今津を宮今津と呼びます。

灘地方に酒造業が盛んになったのは、製造販売上至便の地位にあることと、酒質の醇良なことによるもので、仕込水としていわゆる宮水を用いるのと、原料米の精選とがその要因です。宮水の使用は山邑太左衛門の発見で、天保11年(1840年)初めて西宮から井水を樽に盛り、魚崎に輸送して仕込みました。現在も灘五郷は全部、そのほか明石、伊丹、奈良地方にも宮水を引用しています。

灘酒の酒銘の主なものは次のようなものです。

東自慢、大開、白鹿、日本盛、いろ盛、白鷹、褒紋正宗、桜正宗、菊正宗、白鶴、大黒正宗、泉正宗、富久娘、忠勇、沢の鶴その他

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
灘五郷酒造地
かな
なだごごうしゅぞうち
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県神戸市東灘区、西宮市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

灘酒の沿革は寬永年閒雜喉屋文右衞門が伊丹から西宮に移り、釀造を始めたのに胚胎すると云はれる。既に江戶時代の初め堺、池田、伊丹地方は釀酒盛んで丹釀の名があつた。灘酒の勃興と共に池田、伊丹は衰退したが、灘今日の隆盛を見たのには池田、伊丹に負ふ所が多かつた。明治初年一時衰頺を極めたが、同十年西南役の頃より再興し、漸次釀造石高を增し、大正八年には約六十萬石を算するに至つた。

灘五鄕と俗稱する地は御影鄕、今津鄕、西宮鄕、魚崎鄕、西鄕の地であるが、また狹義の灘の名稱で御影魚崎、西鄕地方を指し、西宮、今津を宮今津と稱する。

灘地方に酒造業が盛んになつたのは、製造販賣上至便の地位にあるのと、酒質の醇良なるに依るもので、仕込水として所謂宮水を用ゐるのと、原料米の精選とがその原因である。宮水の使用は山邑太左衞門の發見で、天保十一年初めて西宮から井水を樽に盛り、魚崎に輸送して仕込んだ。現今も灘五鄕は全部、その外明石、伊丹、奈良地方にも宮水を引用して居る。

灘酒の酒銘の主なものは左の如きものである。

東自慢、大開、白鹿、日本盛、いろ盛、白鷹、襃紋正宗、櫻正宗、菊正宗、白鶴、大黑正宗、泉正宗、富久娘、忠勇、澤の鶴その他

西宮・芦屋のみどころ