東勝寺(宗吾霊堂)

宗吾靈堂
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

成田駅の西南約4.5km、印旛郡公津村台方にあり、電車および自動車の便があります。五間五面入母屋造、銅板葺、大正10年(1921年)の再建となり、内陣には木内宗吾の木像を祀り、その前に護摩壇が設けられています。境内は広く参詣人が常に絶えません。木内宗吾は俗に佐倉宗吾と称され、江戸時代前期の承応年間(1652~1655年)佐倉領内の農民救済の犠牲となり犯罪に問われ、親子ともに処刑された事件は広く知られているもので、現在の霊堂のあるところは当時の刑場の遺跡です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
東勝寺(宗吾霊堂)
かな
とうしょうじ(そうごれいどう)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
千葉県成田市宗吾1-558
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西南約四粁半、印旛郡公津村臺方にあり、電車及自動車の便がある。五閒五面入母屋造、銅板葺、大正十年の再建にかゝり、內陣には木內宗吾の木像を祀り、その前に護摩壇が設けられて居る。境內廣く參詣人が常に絕えない。木內宗吾は俗に佐倉宗吾と稱せられ、承應年閒佐倉領內の農民救濟の犧牲となり犯罪に問はれ、親子諸共刑處の露と消えたる事績は人口に膾炙せる所にして、今の靈堂のある處は當時の刑場の遺址である。

佐倉・成田のみどころ