成田山新勝寺

成田不動(新勝寺)[眞言宗智山派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

成田駅の北約1km、成田町の北部にあり、電車の便があります。平安時代の天暦年間(947~957年)寛朝僧正の開基と伝えています。本堂は江戸時代末期の安政年間(1854~1860年)の再建で、五間五面入母屋造、銅板葺、正面に千鳥破風および軒唐破風を有し、桝組は唐様三手先を用い、その中間には鳥獣などの彫刻を嵌装しています。左右および後面中央の柱間に建てた唐戸には二十四孝の彫刻を嵌装し、左右両面後方の二間および後面の両脇の二間には、腰長押以上の羽目に非常に精巧な五百羅漢の木彫を嵌装しています。これらの彫刻はすべて木地のままで彩色を施していません。内部は前通り二間を外陣とし、奥の三間が内陣になっています。内陣には本尊不動像を安置し、護摩壇を設け、毎日定時に5回護摩法を修めます。日々参詣人が絶えず1、5、9の3ヶ月は特に多く、講中はほとんど全国に広がり、毎年参詣者の総数百数十万に達するといいます。本堂のそばに三重塔があります。方三間銅板葺で、桝組は唐様三手先を用い、下層の桝組には繧繝彩色を施し、その他は黒塗とし、いずれも竜頭形の尾棰を加え、桝組の間には極彩色の彫刻を嵌装しています。下層腰長押下の羽目には胡粉摺丸紋の彫刻を施し、唐戸には菊蓮華などの透彫があります。このように江戸時代装飾の華麗な特徴を現しています。三重塔の前方には鐘楼および経蔵があります。いずれも朱塗で江戸時代の建築です。

境内には新勝寺の経営となる図書館、中学校、高等女学校、感化院、幼稚園があります。図書館は約十万の図書を所蔵し、毎日昼夜開館し一般に閲覧できるようになっています。寺の後方に大きな公園があり、風致に富み、園内の更新会館には近代の書画を陳列しています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
成田不動

令和に見に行くなら

名称
成田山新勝寺
かな
なりたさんしんしょうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
千葉県成田市成田1-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の北約一粁、成田町の北部にあり、電車の便がある。天曆年閒寬朝僧正の開基と傳へて居る。本堂は安政年閒の再建で、五閒五面入母屋造、銅板葺、正面に千鳥破風及軒唐破風を有し、桝組は唐樣三手先を用ゐ、その中閒には鳥獸などの彫刻を嵌裝して居る。左右及後面中央の柱閒に建てたる唐戶には二十四孝の彫刻を嵌裝し、左右兩面後方の二閒及後面の兩脇の二閒には、腰長押以上の羽目に頗る精巧なる五百羅漢の木彫を嵌裝して居る。これらの彫刻はすべて木地のまゝで彩色を施して居ない。內部は前通り二閒を外陣となし、奧の三閒が內陣になつて居る。內陣には本尊不動像を安置し、護摩壇を設け、每日定時に五回護摩法を修める。日々參詣人絕えず一、五、九の三ケ月は殊に多く、講中は殆ど全國に廣がり、每年參詣者の總數百數十萬に達すと云ふ。本堂の傍に三重の塔婆がある。方三閒銅板葺で、桝組は唐樣三手先を用ゐ、下層の桝組には繧繝彩色を施し、その他は黑塗となし、何れも龍頭形の尾棰を加へ、桝組の閒には極彩色の彫刻を嵌裝して居る。下層腰長押下の羽目には胡粉摺丸紋の彫刻を施し、唐戶には菊蓮華などの透彫がある。かくの如くにして江戶時代裝飾の華麗なる特徵を現はして居る。三重塔婆の前方には鐘樓及經藏がある。何れも朱塗で江戶時代の建築である。

境內には新勝寺の經營にかゝる圖書館、中學校、高等女學校、感化院、幼稚園がある。圖書館は約十萬の圖書を藏し、每日晝夜開館し一般の閱覽を許して居る。當寺の後方に大なる公園があり、風致に富み、園內の更新會館には近代の書畫を陳列して居る。

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