東照宮

東照宮

昭和初期のガイド文

[別格官幣社] 徳川家康公を祀る神社です。東照宮は、元和3年(江戸時代、1617年)に2代将軍・徳川秀忠によって家康公の霊廟として造営され、駿河の久能山から家康公の遺骸をここに改葬しました。現在の社殿は、3代将軍・家光が寛永11年(江戸時代、1634年)11月に改築を開始し、翌寛永13年4月に、わずか1年半という短期間で落成しました。その荘厳かつ華麗な造りは、国内外の訪問者を魅了し続けています。

日光といえば主にこの東照宮を指し、「日光を見ずして結構と言うなかれ」と言われています。陽明門の前に立ち、「ああ結構」と感嘆の声を上げた後は、建築物の個々の細部を観察しながら、全体としての調和を考察することをお勧めします。日光の建築物は、以下のような点に重点を置いて設計されています。

まず第一に、限られた神域の中で社殿を曲折を持たせた配置にすることで、建築物同士の調和を図り、全体的にも部分的にも奥ゆかしさを演出しています。第二に、自然のまま保存された老樹の常緑が、華美な建築の背景として見事に調和しています。第三に、社殿は耐久性、耐火性、耐寒性、耐湿性を兼ね備え、装飾には当時の工芸美術の粋が集約されています。

例祭は毎年6月1日に行われ、翌2日には神輿渡御の行列が催されます。この行列には宮司以下約1,200人が参加し、「百物揃え」と称される壮大な行列は見応えがあります。

石鳥居および参道[国宝] 石鳥居は高さ約8m、柱の直径は1m以上ある花崗岩製の堂々たる明神式鳥居です。元和4年(江戸時代、1618年)に黒田長政が奉納したもので、東照宮の正門にあたります。「東照大権現」と書かれた扁額が掲げられています。この鳥居を起点に、廟塔に至る参道が約1kmにわたって続きます。飛石敷や切石敷が施され、随所に石柵や石階が設置された見事な参道です。

五重塔[国宝] 石鳥居をくぐった左手に建つ五重塔は、慶安3年(江戸時代、1650年)に酒井忠勝によって寄進されましたが、文化14年(江戸時代、1817年)の火災で焼失し、同年に酒井家によって再建されました。塔は方三間の構造で、高さ約32mあります。外観は朱塗りで、四方の唐戸は蝋色塗りとなっています。組物には三手先を採用し、尾垂木を加えた上で縁起彩色が施されています。また、蟇股には十二支の動物彫刻が描かれ、極彩色が施された木鼻や長押なども含め、全体の色彩は非常に華やかです。

表門[国宝] 五重塔の前を過ぎ、石段を登ると、杉の巨木の間に建つ朱塗りの門が「表門」です。かつては「仁王門」と呼ばれていました。三間二面一戸の切妻造で、屋根は銅瓦本葺きとなっています。扉柱や桝組などが朱塗りで仕上げられており、羽目板には蠟色塗が施されています。蟇股には竹に虎や獅子に牡丹、麒麟などの彫刻が施され、極彩色で彩られています。また、正面左右には法眼康音作の仁王像が安置され、背面の左右には金色の狛犬が配されています。

石灯籠 表門から陽明門に至る道の間に、97基の石灯籠があります。さらに15基の銅製灯籠と2基の鉄製灯籠があり、いずれも諸大名によって奉納されたものです。それぞれに「東照大権現」の神号や、寄進の年月、寄進者の姓名などが刻まれています。

下神庫[国宝] 表門を入ってすぐ右手にあります。七間四面の校倉造で、屋根は切妻造の銅瓦本葺きです。正面には三間分の蠟色塗の棧唐戸があり、それ以外の部分は土台から桝組に至るまで朱塗りで仕上げられ、多くの金銅装飾金具が使用されています。また、長押の上部には各所に極彩色が施されており、非常に華やかな神庫となっています。

中神庫[国宝] 下神庫の向かい側、表門に正対する位置にあります。九間三面の校倉造で、屋根は入母屋造の銅瓦本葺きです。正面には五間分の向拝が設けられており、中央と一間を隔てた左右に蠟色塗の機唐戸が配置されています。朱塗りの部分や長押上部の極彩色は下神庫とほぼ同様ですが、向拝が長いため軒が深くなっています。

中神庫と下神庫の間にある朱塗りの建物は「西浄」と呼ばれ、かつて諸大名のための便所として使用されていました。

神厩[国宝] 中神庫の前に位置しています。文政13年(江戸時代、1830年)に修復され、現在に至っています。梁間三間、桁行五間で、正面には馬をつなぐための「駒繋ぎ」があり、後方には馬官の席があります。両者の間には「石の間」が設けられています。屋根は流造で銅瓦本葺きとなっており、両切妻には大きな流破風が施されています。長押の上部にある小壁には有名な「松に猿猴」の彫刻があります。東照宮や大猷廟の建築物は基本的に漆塗りが施されていますが、この神厩だけは素木造で、装飾も簡素に仕上げられており、厩舎建築としての性質が際立っています。

神厩の前には「コウヤマキ」があり、徳川家光が植えたと伝えられています。この木は目通り直径約1.5m、高さ約25mに及びます。

上神庫[国宝] 中神庫の向かい左側にあり、正面は経蔵(輪蔵)と向かい合っています。七間四面の校倉造で、屋根は切妻の銅瓦葺き、一間の向拝を付けています。正面の三間には蠟色塗りの棧唐戸が設けられており、その他の部分は土台から桝組に至るまで全て本朱塗となっており、他の二つの神庫と同じです。また、長押上部の極彩色装飾も他の神庫と同様です。南側の妻入り部分には箔押しの追掛に狩野探幽が下絵を描いた雄大な象の彫刻があり、参道からも眺めることができます。

上・中・下の神庫はいずれも祭器、神輿、渡御の行列で使用される甲冑などを収める場所です。この三神庫のうち、上下二庫の屋根は切妻造り、中神庫の屋根は入母屋造りとなっています。また、中神庫と上神庫には向拝が付けられているのに対し、下神庫には向拝が付いていません。このように、三神庫それぞれに違いがありますが、それは倉庫としての共通形式を維持しつつも変化を持たせ、三庫が並んだ際に平凡にならないよう工夫された結果と考えられます。

水屋[国宝] 上神庫の正面にあり、中には花崗岩製の水盤が据えられています。盤の底からは水晶のように澄んだ水がこんこんと湧き出ています。この水屋は元和4年(江戸時代、1618年)に肥前佐賀藩の鍋島勝茂が寄進したものです。建物は銅瓦葺きで、前後に唐破風を設け、柱には花崗岩の角柱が用いられています。各隅には一本の親柱と二本の控柱があり、その上部は金襴巻きの金具で装飾されています。柱上部は木造で、頭貫や台輪は胡粉摺りの仕上げが施されています。桝組には極彩色が施され、欄間には波の浮彫があります。前後の破風内には黒塗りの大瓶束が立てられ、その左右の追掛には波に龍の浮彫があり、華やかで変化に富んだ建築様式となっています。

輪蔵[国宝] 水屋の前にある青銅製の鳥居をくぐると、左手に輪蔵を収めた建物があります。この建物は五間五面の重層宝形造りで、屋根は銅瓦葺きとなっています。四面の柱間ごとに火灯窓があり、採光のための工夫が施されています。また、前後左右の側面中央には黒塗りの棧唐戸が設置されています。柱や腰廻りは朱塗り、長押上部の各部分はすべて極彩色で彩られています。

建物内部の中央には輪蔵があり、八角形をしていて腰組や二重欄干などに五彩の絵模様が施されています。この輪蔵は中央に軸が付いており、回転する仕組みになっています。そのため「輪蔵」と呼ばれています。内部には天海版の一切経が納められています。輪蔵の前には傅大士像があり、その左右には普成像と普建像が配置されています。

飛込獅子 輪蔵の前から石段を登ると、石柵の左右の親柱と同じ石材でできた支柱が、飛び込む獅子の形に彫刻されています。備前西大寺の築太夫による作品で、非常にユニークな彫刻です。

燭台 飛込獅子のそばにあり、青銅製の燭台です。寛永13年(江戸時代、1636年)にオランダから献上されたものです。

朝鮮鐘 燭台の横にあり、寛永20年(江戸時代、1643年)に朝鮮から献上された鐘です。宝形造りの銅瓦葺きの覆屋に吊るされています。

廻灯籠 参道を挟んで朝鮮鐘と向かい合う形で、同じ形式の覆屋に納められています。黄銅製の九角形の灯籠で、寛永13年(江戸時代、1636年)にオランダから献上されました。中央に軸柱があり、自由に回転する仕組みになっています。上部には9つの葵紋が飾られています。

釣灯籠 廻灯籠の背後にあり、八角寄棟造りの建物内にあります。寛永13年(江戸時代、1636年)にオランダから献上されたものです。

鐘楼および鼓楼[国宝] 陽明門前の参道を中央に挟んで左右に建っています。向かって右が鐘楼、左が鼓楼です。大きさや形状はほぼ同じで、設計はやや長方形をした櫓造りになっています。屋根は銅瓦葺きの入母屋造りで、上層の回縁には朱塗りの勾欄があります。裾周りは袴腰形で銅板が貼られ、鍍金された鋲金物が施されています。桝組には上下ともに繧繝彩色が施され、美しい仕上がりです。

本地堂[国宝] 鼓楼の後方に位置しています。この建物には家康公の本地仏である薬師如来が安置されており、薬師堂とも呼ばれています。七間五面の規模を持つ入母屋造りの堂宇で、全体が朱塗りで彩られています。向拝の柱には金襴巻の金具が装飾され、長押より上部の大斗、巻斗、肘木、木鼻などもすべて朱塗りが施されています。向拝部分の蟇股の内側には、竹と虎を描いた彫刻があります。天井は内外二部に分かれ、内陣の天井は鏡天井となっています。そこには蟠龍の墨絵が描かれており、全長約15mに及ぶもので狩野永真安信の筆によるものです。この天井の龍の頭の下で手を打つと、鈴を振るような反響音が生じることで知られており、「鳴龍」として親しまれています。

陽明門[国宝] 鐘楼と鼓楼の間を通る参道の正面に、一段高くそびえる華麗な門が陽明門です。この門は、日光東照宮の建築群の中でも最も名高く、別名「日暮門」とも呼ばれています。構造形式は入母屋造で扇垂木を用い、四方に軒唐破風を付けた三間一戸の楼門です。この門の装飾彫刻は非常に複雑で、各部分をじっくり観察することで全体の美観が成り立っていることが分かります。柱は欅で作られた丸柱で、花崗岩の礎盤の上に立ち、独特な地紋が施されています。柱の一部には、鳥や動物、花などを彫刻した大円が描かれ、全面は胡粉塗りがされています。柱の上下端は金箔を施した金具で装飾されています。門の正面左側には「木目の虎」と呼ばれる虎の彫刻があり、その斑模様は木目を活かして表現されています。また、奥の柱は地紋が逆に彫られていることから「逆柱」と呼ばれています。門の表側左右の柱間には金剛柵があり、その中には随身像が置かれています。裏側には狛犬が配置されています。門の内側には牡丹唐草模様が施された透彫の羽目板があり、欄間には松に金鶏鳥、牡丹に鳳凰の浮彫が金地に極彩色で描かれています。天井には、外側に狩野安信の昇龍の八方睨み、内側には狩野探幽の降龍の四方睨みの黒絵が描かれています。また、両脇四隅には天人舞楽の絵が描かれています。左右の外側には、牡丹をモチーフとした浮彫が極彩色で描かれた金羽目が設置されています。枡組は唐様四手先で、蠟色塗りに沈金彫が施されています。尾垂木鼻には金地に極彩色を施した獅子頭が丸彫りされています。枡組の間には、中国の聖賢像を描いた彫刻が埋め込まれています。門の上層には、勾欄付きの回廊が巡らされており、その内側には「千人唐子遊戯」の丸彫が極彩色で描かれています。上層の枡組にも蠟色塗りと沈金彫が施され、尾垂木鼻には雲に龍頭の丸彫りが施されています。また、火灯窓には鳳凰の丸彫が極彩色で施され、木鼻には胡粉塗りの海馬(イルカに似た伝説上の生物)の丸彫りが付加されています。最後に、この陽明門の色彩について注目すると、柱の白色と枡組の黒色のコントラストが際立っています。その間に金、群青、緑青、朱などの絵具が使われ、色彩の調和に細心の注意が払われています。

廻廊[国宝] 陽明門の左右から延び、全長223m余りにわたって社域の上壇を囲み、中央に社殿を抱く単層の入母屋造りの廻廊です。梁間は二間、銅瓦で本葺きされています。廻廊の正面には1間ごとに松竹梅や鳳凰、孔雀、金鶏などの様々な意匠が施され、精巧で極彩色の浮彫が見事な装飾を彩っています。

神輿殿[国宝] 陽明門を入り左手に折れると、東向きに建つ神輿殿があります。こちらには主神である徳川家康と、相殿二柱の神々の神輿が納められています。三間三面の入母屋造りで銅瓦本葺き。正面には軒唐破風を備え、軸部は蠟色塗り、長押上の各部には金箔と極彩色が施されています。また、椽や勾欄は朱塗りで仕上げられ、天井には狩野了琢が描いた「天人舞楽図」が飾られています。

神楽殿[国宝] 陽明門を入ると右側に位置し、北向きで拝殿に向かい合っています。三間三面の入母屋造りで銅瓦本葺き。建物を囲む三方には朱塗りの椽と勾欄が施されています。正面中央には折唐戸が建てられ、左右両側の前二間は蔀戸で仕切られています。いずれも蠟色塗りの仕上げで、後方の一間では東側に遣戸、西側には連子窓が設けられています。腰羽目には地板に漆箔を貼り、草花が盛られた花籠が薄肉彫りで表現されています。長押上の各部は内外ともに極彩色で装飾されています。

上社務所[国宝] 神楽殿の東北に接し、西向きに建つ建物です。三間四面の入母屋造りで、正面に一間の向拝が設けられています。軸部は全て蠟色塗り、廻椽は朱塗りです。かつては「護摩堂」と呼ばれ、毎年三度護摩法要が行われていました。

玉垣[国宝] 唐門の左右から延び、社殿を囲む瑞垣です。中央部は極彩色の香狭間で飾られ、腰羽目には水鳥の浮彫が、欄間には山鳥を丸彫りにしてはめ込んだ装飾が施されています。

唐門[国宝] 陽明門の次に位置する門で、四方唐破風造りとなっています。正面と側面の破風はそれぞれ異なる形状を持ち、非常に独特な門です。正面の唐破風の上には青銅製の鯉が飾られ、左右の棟には同じく青銅製の龍があります。また、正面の台輪上には胡粉で仕上げられた中国の聖賢像が丸彫りされています。さらに正面左右の柱には昇龍と降龍の彫刻が、方立には竹に梅の意匠が施され、扉には梅、菊、牡丹などの寄木彫りがはめ込まれています。

本殿、石の間および拝殿[国宝] 本殿と拝殿を石の間で連結した権現造の建築で、唐門と瑞垣に囲まれた最も神聖な建物です。拝殿は縦9間、横4間の長方形の設計で、屋根は入母屋造り、正面中央には千鳥破風を設け、その前方には大きな唐破風が突出し、3間の向拝が備わっています。屋根は銅瓦葺きで、軒には二重繁垂を使用し、桝組には蠟色塗りと沈金彫りの唐様二手先が用いられています。向拝の柱は欅で作られた角柱で、白地に円文を散らし、その中に禽獣や草花が半肉彫りで表現されています。また、この柱の上部には龍の首が突き出しており、拝殿の軒下から吊り下げられた胴体が装飾的に配置されています。これらは江戸時代の建築特有の特徴です。階段は全面が鍍金の銅板で覆われており、正面の唐戸の框は蠟色に金の平蒔絵が施されています。羽目板には牡丹唐草の透かし彫りが施され、腰回りの勾欄や蔀戸なども蠟色塗りとされ、装飾金具で彩られています。内部は三つの部屋に分かれており、中央の部屋は5間×4間の大きさで、63畳敷きの広さを持ちます。左側には法親王が着座される部屋があり、右側には将軍の着座の間があります。どちらの部屋も2間×4間の18畳敷きです。中央の部屋の天井は折上げ格天井で、各区画に青地の岩絵が置かれ、極彩色で百態の龍が描かれています。この龍たちはすべて異なる姿をしており、「百種の龍」とも呼ばれます。柱は金箔押しの丸柱で、上部は極彩色の金欄巻きで装飾されています。長押の上や欄間には花鳥草木の彫刻が施されており、左右の杉戸には金泥地に極彩色で、右には竹と麒麟、左には牡丹と狂獅子が描かれています。これらは狩野探幽の作品です。左右の着座の間には紫檀、黒檀、鉄刀木、檳榔樹などで作られた八枚の額羽目があり、大きな桐や鳳凰の木象嵌が施されています。これらの唐木細工は非常に豪華なものです。中央の部屋正面の3間には御簾(みす)が垂れ下がり、金幣が三個設置され、御簾の上には神鏡が掲げられています。拝殿と石の間にある4本の柱は、堆黒の巻柱として有名です。石の間は拝殿の後方に続き、一段低い位置にあります。本殿は石の間に接続しており、5間×5間の入母屋造り、銅瓦葺きです。大棟には千木と勝魚木が飾られています。本殿の軒も二重繁垂で、桝組には蠟色塗りと沈金彫りの二手先が用いられています。台輪にはぐり彫り胡粉摺りの円柱が立ち、四方には腰組の上に勾欄付きの回縁が巡らされています。正面3間には唐戸が建てられ、両脇の各1間には火灯窓が設けられています。内部は幣殿、内陣、内々陣に分かれ、内々陣には「御宮殿」と呼ばれる建物があり、ここに御霊代が安置されています。

坂下門[国宝] 拝殿を下り、上社務所の前に戻り左へ曲がって回廊の潜門を出たところにあります。この潜門の蟇股には、有名な「眠り猫」の彫刻が施されています。坂下門は妻唐破風造で、屋根は銅瓦葺きです。二本の丸柱と角形の控柱があり、格天井には朱紅地に菊や牡丹の折枝が彫られています。扉には牡丹唐草の透彫があり、柱と扉の装飾金具には七宝が施されています。

奥宮拝殿[国宝] 坂下門から約200段の石段を登ると、宝庫と青銅の鳥居があります。さらに少し登ると奥宮の拝殿にたどり着きます。建物は五間三面の入母屋造で、前後に軒唐破風がついた銅瓦葺きの建築です。外部は銅板で包まれており、内部は極彩色の装飾が随所に施されています。

奥社廟塔および鋳抜門[国宝] 宝塔は徳川家康公の墓所で、高さ5m余りの銅製です。その正面には朝鮮から献上された青銅製の三具足が並んでいます。周囲は瑞垣で囲まれており、正面にある青銅製唐門は大きな鋳型で一体成形されたもので、「鋳抜の門」と称されています。この門は応安2年(南北朝時代、1369年)の作とされています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
東照宮
かな
とうしょうぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県日光市山内2301
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[別格官幣社] 德川家康を祀る。初め元和三年德川二代將軍秀忠靈廟を造營し、家康の遺骸を駿河の久能山からこゝに改葬した。現存せる社殿は三代將軍家光が寬永十一年十一月に改築をはじめ、同十三年四月卽ち僅か一年有半にして落成したもので、莊嚴華麗を極め、内外人の等しく歎賞措く能はざる所である。

日光と云へば主としてこの東照宮の建築を意味し、これを見ざれば結構の何たるかは判らないと云はれてゐるが、陽明門前に立ち「あゝ結構」の一語を發して直觀的印象を得たものは、更に進んで個々の建築を詳しく見ると同時に、全體を總括して考ふるを要する。日光建築は主として次の諸點に考慮が拂はれて居る。

先づ第一に狹小なる神域の中に、社殿の配置を迂餘曲折せしめ、その間に建築物相互の調和をもとめ、全體的にも部分的にも奧ゆかしい感じが與へられて居る。第二には老樹が自然のまゝ保存せられ、その常綠が華美なる建築物の背景に取り入れられて居る。第三には社殿の構造を耐久、耐火、耐寒、耐濕たらしめると共に、裝飾に全力を傾け、當時のあらゆる工藝美術の粹が集められて居る。

例祭は六月一日でその翌二日には神輿渡御の行列があり、宮司以下供奉するもの千二百人に及び、所謂百物揃の大行列で壯觀を極める。

石鳥居及參道[國寶] 石鳥居は高さ約八米、柱徑一米餘花崗岩で造られた莊重雄大なる明神式の鳥居である。元和四年黑田長政の奉納にかゝり、東照本宮第一の入口をなし、「東照大權現」の扁額がかゝげられて居る。この鳥居を起點として諸堂を連ね、廟塔に至る參道があり、延長一粁以上に及び飛石敷、切石敷などを施し、所々に石柵、石階を設けた大參道である。

五重塔婆[國寶] 石の鳥居を入つて左側にあり、慶安三年に酒井忠勝の寄進したものであるが、文化十四年に燒失し、同年酒井家によつて再建されたものである。方三間の五重塔婆で高さ約三二米、外廻り朱塗、四方の唐戶は蠟色塗になつて居る。桝組は三手先を用ゐ尾棰を加へ、繧繝彩色を施し、蟇股の中には方位に合せて十二支獸の極彩色彫刻があり、その他木鼻、長押などにも極彩色を施し、全體の色彩が極めて濃厚華美である。

表門[國寶] 五重塔婆の前をすぎて石段を登ると、杉の巨木の間に建つ朱塗の門がそれで、もとは仁王門と稱した。三間二面一戶切妻造銅瓦本葺の門で、扉柱及桝組などは朱塗、羽目金剛柵は蠟色塗である。蟇股內には竹に虎、獅子に牡丹、麒麟などの彫刻を附し、極彩色を施して居る。正面左右には法眼康音作の仁王像が安置され、後面の左右には金色の狛犬がある。

石燈籠 表門から陽明門外に至る間に、九十七基の石燈籠があり、外に十五基の銅製及二基の鐵製燈籠がある。何れも諸大名が奉納したもので大抵は神號東照大權現、寄進の年月及寄進者の姓名などを刻して居る。

下神庫[國寶] 表門を入ると直ぐ右手にある。七間四面の校倉造、屋根は切妻銅瓦本葺、正面に三間の蠟色塗棧唐戶をたて、その他は土臺より桝組に至る迄本朱塗となし、多くの金銅餝金具を用ゐ、長押上の各部には極彩色を施した華麗なる神庫である。

中神庫[國寶] 下神庫の向つて左にあり、その正面は表門と相對して居る。九間三面の校倉造で、屋根は入母屋銅瓦本葺、五間の向拜を附し、中央及一間を距てゝ左右に蠟色塗の機唐戶をたてゝ居る。朱塗の箇所及長押上各部の極彩色などは、下神庫とほゞ同樣であるが、正面に長き向拜あるため軒が深くなつて居る。

中神庫と下神庫の間にある朱塗の建物は西淨と稱し、諸大名の便所に使用されたものである。

神厩[國寶] 中神庫の前にある。文政十三年の修覆を經て今日に至つて居る。梁間三間、桁行五間、正面に駒繫を置き、後方に馬官席があり、兩者の中間に石ノ間がある。屋根は流造銅瓦本葺で、兩切妻には大なる流破風を架けて居る。長押上の小壁には有名な松に猿猴の彫刻がある。東照宮及大猷廟の建築は皆漆塗であるが、この神厩一宇のみ素木造で、裝飾も質素で厩舍建築の性質を現はして居る。

神厩の前にかうやまきがあり、德川家光が植ゑたものと傳へ、目通り直徑一米半、高さ約二五米に及ぶ。

上神庫[國寶] 中神庫の向つて左側に立ち、正面は經藏(輪藏)と相對して居る。七間四面の校倉造で屋根は切妻銅瓦本葺、一間の向拜を附し、正面三間に蠟色塗の棧唐戶を設け、その他は土臺より桝組に至るまですべて本朱塗であること、他の二神庫に同じく、また長押上各部分の極彩色も他の神庫と同樣であるが、南側妻入りには箔押の追掛に探幽下繪の雄大なる象の彫刻があり、參道から眺められる。

上中下の神庫は何れも祭器、神輿、渡御の行列に用ゐられる甲冑などを納むる所である。三神庫のうち上下兩庫の屋根は切妻、中庫の屋根は入母屋となし、また中上兩庫には向拜を附し、下庫には向拜を附せざるなど互に著しく異つて居るが、それは何れも倉庫たる共通の形式の外に變化を與へて、三庫竝列の平凡化をさけんとしたる周到なる用意に基くものと思はれる。

水屋[國寶] 上庫の正面にあり、中に花崗岩の水盤が据ゑてある。底から水晶のやうな玉の水がこんこんと湧き出でゝ居る。元和四年に肥前佐賀の鍋島勝茂が寄進したものである。水屋は銅瓦本葺、前後に唐破風を設け、柱は花崗岩の角柱で、各隅に一本の親柱と二本の控柱を有し、その上部は金襴卷金具で包まれて居る。柱上はすべて木造で、頭貫及臺輪の地模樣は胡粉摺になつて居る。桝組は極彩色を施し、欄間には波の浮彫があり、前後の破風內には黑塗の大瓶束をたて、その左右の追掛には波に龍の浮彫があり、形態の變化に富んだ華麗なる水屋である。

輪藏[國寶] 水屋の前の靑銅の鳥居を過ぎると、左方に輪藏を納めた五間五面、重層寶形造の建物がある。屋根は銅瓦本葺、四面柱間每に火燈窓を穿つて採光に便し、前後左右兩側面の中央の柱間には黑塗の棧唐戶をたてゝ居る。柱と腰廻りは朱塗、長押上の各部はすべて極彩色を施して居る。

內部の中央に輪藏があり、八角形で腰組、二重勾欄などすべて五彩の繪模樣を以て裝飾し、中央に軸を附し、廻轉するやうになつて居る、故に輪藏と云ふのである。天海版の一切經が納めてある。輪藏の前には傅大士、その左右には普成、普建の二像がある。

飛込獅子 輪藏の前から石段を登ると、石柵の左右親柱と同石の支柱が、飛込み獅子の形に彫り出されて居る。備前西大寺築太夫の作で頗る面白い。

燭臺 飛込獅子の傍にあり、靑銅製で寛永十三年和蘭から獻上したものである。

朝鮮鐘 燭臺の橫にあり、寛永二十年に朝鮮から獻上したもので、寶形造銅瓦葺の覆屋に懸つて居る。

廻燈籠 參道を距てゝ朝鮮鐘と相對し、同一形式の覆屋に納められて居る。黄銅製九角形の燈籠である。寬永十三年和蘭から獻上したもので、中心に軸柱があつて自由に廻轉し、上部に九つの葵紋が附いて居る。

釣燈籠 廻燈籠の後にあり、八角寄棟造の中にある。寛永十三年に和蘭より獻上したものである。

鐘樓及鼓樓[國寶] 陽明門前の參道を中央に挾んで左右にある。向つて右にあるは鐘樓で、左にあるは鼓樓である。その大さ、形狀など兩者全く同一にして、そのプランは稍長方形を存せる櫓造で、屋根は銅瓦本葺入母屋造、上層の廻椽には朱塗の勾欄がある。裾廻は袴腰形で銅板を張り、鍍金の鋲金物を打ち、桝組には上下とも繧繝彩色が施してある。

本地堂[國寶] 鼓樓の後にある。家康の本地佛藥師如來を安置した堂で藥師堂とも稱し、七間五面、入母屋造總朱塗の大堂宇で、向拜の柱は金襴卷金具を裝ひ、長押上は大斗、卷斗、肘木、木鼻などすべて朱塗になつて居る。向拜の蟇股内部には竹に虎の彫刻がある。天井は內外二部に分かれ、內陣の天井は鏡天井で蟠龍の墨繪が描かれて居る。長さ約一五米、狩野永眞安信の筆になり、龍の頭の下で手を拍つと恰も鈴をふるやうな反響がするので有名となり、俗に鳴龍と呼ばれて居る。

陽明門[國寶] 鐘樓鼓樓の間を通ずる參道の正面に一段高く立ち、華麗極りなき門が卽ち陽明門で、日光東照宮諸建築中最も名高く、俗に日暮門とも云ふ。その構造形式は入母屋造で扇棰を用ゐ、四方に軒唐破風を附した三間一戶の樓門である。その裝飾彫刻などは極めて複雜であるから、先づ各部の裝飾構造を見て全體の美觀の構成されて居る要素を明にする必要がある。柱は欅の丸柱で花崗岩の礎盤上に建ち、ぐりの地紋を有し、所々に大圓を描き、その中に禽獸花卉を彫刻し、柱の全面を胡粉摺となし、上下兩端は鍍金々具で包まれて居る。向て左の中桂に彫刻された虎は、木目が丁度斑紋に見えるので木目の虎と稱し、その奥の柱は地紋が逆に彫つてあるので、逆柱と云つて居る。門の表左右の柱間には金剛柵があり、中に隨身を置き、裏の左右には狛犬がある。前面後面とも內側の羽目は牡丹唐草、胡粉摺の透彫を施し、欄間は松に金鷄鳥、牡丹に鳳凰の浮彫で、金地に極彩色がしてある。天井は中央二間のうち、外の間は狩野安信筆昇龍八方睨み、内の間は探幽守信筆降龍四方睨みの黑繪があり、兩脇四隅の天井には天人舞樂の畫がある。左右外側の金羽目は、岩に牡丹の浮彫が極彩色になつて居る。桝組は唐樣四手先で、蠟色塗に沈金彫を施し、尾棰鼻には獅子頭の丸彫、金地に極彩色の獅子頭が彫刻されて居る。桝組の間の羽目には極彩色丸彫の支那聖賢像を塡充し、正面中央の三區には周公握髮して士を迎ふる像あり、西側には商山四皓、虎溪三笑、飮中八仙、酢吸三聖、東側は遜思邈四睡、福人、張良、後側は琴高、馬龍、鐘離賢、費張房、王商、鐵拐などがある。上層は勾欄附の廻椽をめぐらし、勾欄に香狹間を設け、その劃內に千人唐子遊戲の丸彫、極彩色の彫刻が嵌入してある。上層の桝組も蠟色塗に沈金彫を施した唐樣四手先で、尾棰鼻は雲に龍頭の丸彫極彩色で、桝組の間隙には桐及鳳凰の高彫を以て充飾して居る。四方の火燈窓には鳳凰丸の彫刻、極彩色の彫刻があり、木鼻には胡粉摺、海馬の丸彫が附加されて居る。最後に陽明門をその色彩の上から見ると、最も著しい對照は、柱が白く、桝組の黑いことで、その間に金、群靑、綠靑、朱などの繪具によつて極彩色を施し、色彩の調和に頗る苦心して居ることが見える。

廻廊[國寶] 陽明門の左右に起り、延長二二三米餘、社域の上壇をかこみ、中央に社殿を抱擁せる單層入母屋造、梁間二間銅瓦本葺の廻廊である。廻廊の正面一間毎に松竹梅、鳳凰、孔雀、金鷄鳥など各意匠を竭し、精巧を極めた浮彫が、極彩色に彩られて居る。

神輿殿[國寶] 陽明門を入り左に折れると、東面して建ち、主神家康及相殿二神の神輿が納められて居る。三間三面、入母屋造、銅瓦本葺、正面に軒唐破風を附し、軸部は蠟色塗、長押上各部は金箔と極彩色を施し、椽及勾欄は朱塗になつて居る。天井には狩野了琢の描いた天人舞樂圖がある。

神樂殿[國寶] 陽明門を入ると右側に北面して、拜殿に向つて居る。三間三面入母屋造銅瓦本葺、三方に勾欄附朱塗の椽をめぐらして居る。正面中の間は折唐戶を建て、左右兩側面の前二間は蔀戶を以てからみ、何れも蠟色塗となし、後方の一間は東側にあつては遣戶を附し、西側にあつては連子窓を設け、その下方の腰羽目は地板に漆箔を貼し、草花を盛りたる花籠を薄肉で現はし、長押上各部は內外共極彩色になつて居る。

上社務所[國寶] 神樂殿の東北に接し、西面して建つて居る。三間四面入母屋造、正面に一間の向拜を附し、軸部はすべて蠟色塗で、廻椽は朱塗になつて居る。往時は護摩堂と稱し、毎年三囘護摩法を修めた所である。

玉垣[國寶] 唐門の左右から起り、社殿を取りかこんで居る瑞垣で、中央は極彩色の香狹間、腰羽目は水鳥の浮彫、欄間は山の鳥を丸彫にして嵌入して居る。

唐門[國寶] 陽明門の次にある門で、四方唐破風造、正面と側面の破風はその形狀を異にし、頗る奇拔な唐門である。正面唐破風の上には靑銅製の戀を置き、左右の棟には同じく靑銅製の龍がある。正面臺輪の上には丸彫胡粉摺の支那聖賢像を現はして居る。正面左右の柱には昇龍、降龍の彫刻、方立には竹に梅、扉の兩面には梅、菊、牡丹など唐木の寄木彫を嵌入してある。

本殿、石ノ間及拜殿[國寶] 社殿の主要建築物で、本殿と拜殿を石ノ間で連結した權現造である。唐門及瑞垣によつて圍繞された最も神聖なる建物である。拜殿は九間四面長方形のプランを有し、屋根は入母屋造、正面中央に千鳥破風をつけ、その前方に大なる唐破風を突き出し、三間の向拜を作つて居る。屋根は銅瓦本葺で、軒は二重繁棰を用ゐ、桝組は蠟色塗沈金彫の唐樣二手先を組み、向拜の柱は欅の角柱で、白の地文の上に圓形を散らし、その中に禽獸草花を半肉彫にして現はして居る。この向拜柱の上部を見ると龍の首が突き出して居るが、この龍は拜殿の本字の軒下から出て、その胴體は上から金具で釣つてある。かゝる裝飾は江戶時代建築に見る特徵の一である。階段は全面を鍍金の銅板で包み、正面唐戶の框は蠟色に金の平蒔繪、羽目には牡丹唐草の透彫、腰廻りの勾欄及蔀戶などは蠟色塗となし、餝金具で裝飾されて居る。內部は三室に分かれ、中央は五間四面六十三疊、向つて左に法親王御着座の間、右に將軍着座の間がある。何れも二間四面十八疊敷、中央の間は折上格天井で、格間每に岩紺靑地に置き上げ極彩色、百態の丸龍を描いて居る。その龍各形を異にするを以て百種の龍と云ふ。柱は金箔押の丸柱で、上部は極彩色の金欄卷である。長押上欄間には花鳥草木の彫刻を納れ、左右の杉戶は金泥地に極彩色で、右は竹に麒麟、左は牡丹に狂獅子を畫く、何れも狩野探幽の筆である。左右著坐の間には紫檀、黑檀、鐵刀木、檳榔樹などで造られた八枚の額羽目があり、桐、鳳凰などの大なる木象嵌をはめて居る。唐木細工の頗る豪奢なものである。中央の間正面の三間には、御簾を垂れ金幣三個をたて、御簾の上には神鏡が揭げてある。拜殿と石ノ間にある四本の柱は、堆黑の卷柱で有名なものである。石ノ間は拜殿の後につゞき一段低くなり、本殿は石ノ間に連接して居る。五間五面入母屋造、銅瓦本葺で、大棟に千木、勝魚木を冠し、軒は二重繁棰、桝組は蠟色塗沈金彫の二手先を用ゐ、臺輪を加へ、ぐり彫胡粉摺の圓柱をたて、四方腰組上には勾欄付の廻椽をめぐらして居る。正面三間に唐戶を建て、兩脇各一間には火燈窓が附いて居る。内部は幣殿、內陣、內々陣に分かれ、內々陣に御宮殿と稱する一棟の建物があり、そこに御靈代が安置せられて居る。

坂下門[國寶] 拜殿を下り上社務所の前に戻り、左に折れ廻廊の潜門を出た所にある。この潜門の蟇股には有名な眠猫の彫刻がある。坂下門は妻唐破風造で、屋根は銅瓦本葺、二本の丸柱及角形の控柱を建て、格天井は蜀紅地に菊、牡丹の折枝を刻み、扉には牡丹唐草の透彫がある。柱と扉の餝金具には七寶が應用してある。

奥宮拜殿[國寶] 坂下門から二百餘階の石段を登ると寶庫と靑銅の鳥居があり、こゝから少しく登ると奥宮の拜殿に達する。五間三面入母屋造、前後に軒唐破風を有する銅瓦本葺の建物で、外部は銅板で包まれ、內部は各部とも極彩色の裝飾が施されて居る。

奥社廟塔及鑄抜門[國寳] 寶塔は德川家康の墓で、銅製高さ五米餘、その正面に朝鮮から獻上した靑銅の三具足がある。周圍に瑞垣をめぐらし、正面の靑銅製唐門は大なる鑄型に入れて鑄拔いたもので、鑄拔の門と稱し應安二年の作である。

日光のみどころ