大猷院
昭和初期のガイド文
法華堂の南側、山腹に位置し、徳川三代将軍・家光公を祀る霊廟です。慶安4年(江戸時代、1651年)に着工し、3年後の承応2年(1653年)に完成しました。この霊廟は、東照宮が完成してから15年後に建立されました。仁王門、水屋、宝庫、二天門、夜又門、鐘楼、鼓楼、唐門、本殿、相ノ間、拝殿、皇嘉門、奥の院が含まれており、その配置や構造は東照宮とほぼ同じです。
仁王門[国宝] 大猷院霊廟の外郭に建てられた門で、石段の上に位置しています。この門の構造や様式は東照宮の表門と同様で、三間二面、単層、切妻屋根で銅瓦葺きの朱塗り楼門です。桝組には黒塗りの唐様出組が用いられ、中央一間が入口となっています。左右両脇には金剛柵が設置され、その中には仁王像が安置されています。また、門の内側の左右には銅製の蓮花造花が手桶に生けられています。
宝蔵[国宝] 仁王門の左側に位置する建物です。五間三面、単層の入母屋造りで、銅瓦葺きの校倉式宝庫となっています。正面には三間分の向拝が付けられ、桝組には唐様出組が採用されています。その桝組の間には極彩色の美しい蟇股が装飾され、正面には勾欄付きの縁が設けられています。全体的に朱塗りが施されていますが、正面の唐戸や両脇の蔀戸は蠟色塗りとなっています。構造や装飾の多くは東照宮の中神庫に似ていますが、若干簡素な作りとなっています。
水屋[国宝] 仁王門を入って右手前方にある建物です。その構造は東照宮の水屋と同様で、屋根は銅瓦葺き、左右が切妻造りで、前後には唐破風が施されています。四隅には石造りの八角支柱が、また四角の副柱がそれぞれ二本ずつ建てられています。四隅の柱は全体の構造に安定感と荘重な印象を与えています。台輪や桁などには極彩色の模様が施され、桝組には三斗を用い、さらに繧繝彩色が施されています。その隙間には金色に輝く波の彫刻が組み込まれています。
二天門[国宝] 水屋のそばから参道を左折すると、高い石段の上に建つ大きな朱塗りの楼門が二天門です。三間一戸の造りで、屋根は入母屋造り、前後には軒唐破風があしらわれています。上層正面には「大猷院」の扁額が掲げられ、唐様三手先詰組の桝組に施された繧繝彩色が壮麗です。枇杷板には牡丹に獅子の彫刻が施されており、上層の柱間には火灯窓が設置されています。その小脇羽目には唐草模様の彩色彫刻があしらわれています。上層の腰回りには朱塗りの勾欄付き縁が巡らされ、各所に装飾金具が使用されています。下層の桝組も唐様三手先の詰組で、黒塗りに朱や金の縁取りが施されています。桝組の間には波や麒麟などを表現した金色の彫刻が組み込まれ、頭貫や台輪は朱塗りとなっています。下層の天井は小組格天井で漆箔押しが施され、扉は朱塗りで装飾鋲が用いられています。正面左右の間には天部の像が、内側の左右には雷神と風神の像が安置されています。
鐘楼及び鼓楼[国宝] 二天門を過ぎて右折し、さらに左に折れて石段を登ると、参道の右側に鐘楼、左側に鼓楼があります。どちらも重層の袴腰造りで、屋根は入母屋造り、銅瓦の本葺きです。上層の軒回りには桝組に繧繝彩色が施されています。腰より上の四方には朱塗りの廻縁が巡らされ、廻縁下の桝組は蠟色塗りとなっています。両方とも同じ形の建築で、霊廟域の中壇を占めています。
夜叉門[国宝] 鐘楼と鼓楼の間を進むと、正面の階段上に建つ門が夜叉門です。三間二面の八脚門で、唐戸を設けています。正面左右の間には青と赤、背面左右の間には白と群青色の夜叉像が安置されています。屋根は左右切妻造りで、前後に軒唐破風が施されています。桝組には金色の唐様二手先を使用し、丸柱が立てられています。柱の表面には縦に並行する筋彫り、いわゆる「胡麻殻決」の彫刻が施されています。この門の装飾は主に牡丹唐草を艶やかに用い、金色を主体とした彩色が施されており、随所に極彩色が使われています。
唐門[国宝] 夜叉門を抜け、正面の小高い石段の上にあるのが唐門です。これは大猷院霊廟内郭の門で、前後に唐破風が造られています。破風内には舞鶴の彫刻が施され、破風虹梁には金箔による地紋が彫られています。支輪板には菊の折枝を表現した漆箔押しの金色燦然たる彫刻が施され、台輪上の羽目板には金波を彫刻し、白龍の高肉彫が嵌め込まれています。正面の親柱は漆箔金襴巻の丸柱で、後方の控柱には花菱の地紋を漆箔で装飾した金襴巻の方柱が使用されています。扉の框は蠟色塗りで、入子板にはすべて漆箔が貼られ、上部には鳳凰の浮彫が施されています。左右の柱間には牡丹や唐草をモチーフとした金箔押しの透彫が嵌め込まれ、その上部の花欄間には唐花の透彫が施されています。左右の脇障子には七宝模様の地に秋草の彫刻が施されており、全面胡粉摺り仕上げとなっています。
本殿、相ノ間および拝殿[国宝] 本殿、相ノ間および拝殿は、大猷院廟の中心となる建築物で、一種の権現造りを形成しています。
拝殿は幅約12.7m、奥行き約5.4m(7間×3面)で、単層の入母屋造りとなっており、屋根には千鳥破風と唐破風が設けられています。木組みは黒塗りの唐様の二手先を用い、正面には3間分の向拝があり、周囲には朱塗りの欄干が巡らされています。正面中央の3間には唐戸があり、龍や唐獅子の彫刻が施された漆箔仕上げです。その両側の2間は蔀戸となっています。内装は折上格天井で、天井には龍の丸紋が極彩色で描かれており、欄間や蟇股など随所に極彩色の彫刻が施されています。相ノ間へ通じる入口の左右3間の羽目板には、金地に唐獅子が描かれています。
相ノ間は幅約1.8m、奥行き約5.4m(1間×3面)で、床の高さが拝殿と同じになっており、石の間は設けられていません。この点で東照宮とは趣が異なり、純粋な権現造りとはいえません。
本殿は幅約9m、奥行き約9m(5間×5面)の重層入母屋造りで、屋根は銅瓦の本葺きです。漆箔仕上げの丸柱が立ち、下層の木組みには唐様の三斗が用いられ、上層は三手先の詰組みとなっています。内部の天井には龍が描かれ、須弥壇の上には仏殿様式の厨子が安置されています。この厨子には徳川家光の坐像が祀られています。柱や唐戸をはじめ、堂内外に金彩が施され、朱塗りや黒塗り、極彩色が組み合わされています。さらに虹梁や頭貫、破風板などにも精緻な文様が刻まれており、華麗な仏殿となっています。
皇嘉門[国宝] 皇嘉門は、本殿から奥ノ院へ向かう参道の入口にある門です。その構造は俗に「竜宮造り」と呼ばれ、独特の形態を備えています。漆箔仕上げの丸柱が立ち、腰長押の上には白色の蟻壁が設けられています。蟻壁の上部は饅頭型をしており、前後両面の中央には櫛形の入口が設けられています。内部には漆箔を施した二葉の唐戸が設けられています。
奥ノ院 皇嘉門を抜け、老松や古杉が立ち並ぶ参道を進むと、まず拝殿に到着します。拝殿は幅約9m、奥行き約5.4m(5間×3面)の入母屋造りで、屋根は銅瓦の本葺きです。前後には軒唐破風があり、内部はすべて蝋色塗りで仕上げられ、彫刻や極彩色、装飾金具などが用いられて華やかに装飾されています。
拝殿の背後には唐門があります。この門は「鋳抜門」とも呼ばれ、青銅製の鋳造物です。唐門の左右から石柵が巡らされ、宝塔を囲む方形の墳域が形成されています。この墳域の中心に宝塔があり、ここには慶安4年(江戸時代、1651年)5月6日に三代将軍徳川家光の遺骸が葬られています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 大猷院
- かな
- たいゆういん
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 栃木県日光市山内2300
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
法華堂の南、山腹にあり德川三代將軍家光を祀る。慶安四年に工を起し、三年を經、東照宮の出來上つた後十五年目卽ち承應二年に竣工した。仁王門、水屋、寶庫、二天門、夜又門、鐘樓、鼓樓、唐門、本殿、相ノ間、拜殿、皇嘉門及び奥ノ院を有し、その配置構造など、ほゞ東照宮と同樣である。
仁王門[國寶] 大猷院靈廟の外廓にある門で、石段の上に建つて居る。その構造樣式東照宮の表門に同じく、三間二面、單層、屋根切妻、銅瓦本葺、朱塗の樓門で、桝組は黑塗の唐樣出組を用ゐ、中央一間を戶口とし、その兩脇正面には金剛柵を設け、中に仁王像を安置し、內側の兩脇には銅製蓮花の造花が手桶に生けてある。
寶藏[國寶] 仁王門の左側にある。五間三面、單層入母屋造、銅瓦本葺、校倉式の寶庫で、正面に三間の向拜を附し、桝組は唐樣出組を用ゐ、桝組の間には極彩色の優美なる蟇股を置き、正面には勾欄附の椽がある。大部分は朱塗であるが、正面の唐戶及兩脇の蔀戶は蠟色塗になつて居る。構造裝飾は大體に於て東照宮の中神庫に似て居るが稍簡素である。
水屋[國寶] 仁王門を入つて右方前面にある。その結構東照宮の水屋に同じく、屋根は銅瓦葺、左右切妻、前後に唐破風を有し、四隅に石造の八角支柱及四角の副柱各二本を建つ。四隅各三本の柱は全體の構造に頗る安定莊重の觀を與へて居る。臺輪及桁などには極彩色の模樣を施し、桝組は三斗を用ゐ繧繝彩色を施し、その間隙に金色燦然たる波の彫刻を嵌裝して居る。
二天門[國寶] 水屋の傍から參道を左折すると、高く石段の上に建つて居る。三間一戶朱塗の大なる樓門である。屋根は入母屋造、前後に軒唐破風を造り、上層の正面には「大猷院」の扁額が仰がれ、唐樣三手先詰組の桝組に施された繧繝彩色が壯觀である。枇杷板には牡丹に獅子の彫刻を嵌裝して居る。上層の柱間には火燈窓を設け、その小脇羽目には唐草の彩色彫刻がある。上層の腰には朱塗の勾欄附廻椽をめぐらし、隨所に餝金具を使用して居る。下層の桝組は同じく唐樣三手先の詰組であるが、黑塗で朱或は金の緣取りになつて居る。桝組の間には浪に麒麟その他の彫物を配した金色の丸彫を嵌裝し、頭貫臺輪などは朱塗になつて居る。下層の天井は小組格天井、漆箔押、扉は朱塗で餝鋲を用ゐ、正面左右の間には天部の像を、內側の左右には雷神及風神の像が置いてある。
鐘樓及鼓樓[國寶] 二天門を過ぎて右折し、更に左に折れ石段を登ると、參道の右に鐘樓左に鼓樓がある。何れも重層袴腰造にして、屋根入母屋造、銅瓦本葺である。上層の軒廻は桝組に繧繝彩色が施されて居る。腰上四方には朱塗の廻椽をめぐらし、廻椽下の桝組は蠟色塗である。兩者ともに同形の建築にして、廟域の中壇を占めて居る。
夜叉門[國寶] 鐘樓鼓樓の相對する間を進むと、正面の階段上に建つ門が卽ち夜又門である。三間二面の八脚門で唐戶を建て、正面左右の間には靑と赤、背面左右の問には白と群靑色の夜叉を安置して居る。屋根は左右切妻、前後に軒唐破風を造り、桝組は金色の唐樣二手先を用ゐ、丸柱を建てゝ居る。柱の面には、縱に竝行した筋彫卽ち「胡麻殻決」の彫刻がある。この門の裝飾は主として牡丹唐草の艷麗なるを用ゐ、金色を以て主要なる彩色となし、隨所に極彩色を施して居る。
唐門[國寶] 夜叉門を入つて、正面の小高い石段上にあり、大猷院靈廟內郭の門である。前後唐破風造で、破風內には舞鶴の彫刻を附し、破風虹梁には金箔の地紋を刻し、支輪板には菊の折枝を現はした漆箔押の金色燦然たる彫刻を施し、臺輪上の羽目には金波を刻し、白龍の高肉彫を嵌裝して居る。正面二本の親柱は、漆箔金襴卷の丸柱で、後方の控柱は花菱の地紋に漆箔を置いた金欄卷の方柱である。扉の框は蠟色塗で、入子板は全部漆箔を貼し、上部には鳳凰の浮彫がある。左右の柱間には牡丹、唐草、金箔押の透彫を塡裝し、その上部の花欄間には唐花の透彫がある。左右の脇障子は七寶地に秋草の彫刻を現はし、全面胡粉摺になつて居る。
本殿、相ノ間及拜殿[國寶] 本殿、相ノ間及拜殿は大猷院廟の主體をなす建築物で、一種の權現造を形成して居る。
拜殿は七間三面、單層入母屋造、屋上に千鳥破風を附し、軒に唐破風がある。桝組は黑塗唐樣二手先を用ゐ、三間の向拜を設け、周圍の椽には朱塗の勾欄がある。正面中央の三間にある唐戶には、龍及唐獅子の浮彫を現はして漆箔を施し、その兩脇の二間は蔀戶になつて居る。內部は折上格天井を造り、龍の丸紋を極彩色で現はし、欄間、蟇股など隨所に極彩色の彫刻を以て充飾して居る。相ノ間に通ずる入口の左右三間の羽目には、金地に唐獅子が描かれて居る。相ノ間は一間三面、床板を拜殿と同じ高さに張り、石ノ間になつて居ないから、東照宮とは大分趣を異にして居る。從つてこれは純なる權現造ではない。本殿は五間五面、重層入母屋造、銅瓦本葺、漆箔の丸柱を建て、下層の桝組は唐樣三斗を用ゐ、上層は三手先詰組となし、腰組も唐樣三手先を組んで居る。内部天井には龍を描き、須彌壇の上には佛殿樣の厨子を安置して居る。厨子には家光の坐像が祀られて居る。裝飾は柱及唐戶をはじめ堂の内外に金彩を施し、朱塗、黑塗若しくは極彩色を以てこれを補綴し、虹梁、頭貫より破風板などに至るまで皆地文を刻し、薄肉高彫透彫などを以て間隙を充飾した華麗な佛殿である。
皇嘉門[國寶] 本殿より奥の院に至る入口の門である。その構造は俗に龍宮造と稱し、一種異樣の形態を備へた門である。漆箔の丸柱を建て、腰長押の上に白色の蟻壁を設け、その上部は饅頭形をなし、蟻壁の前後兩面の中央に櫛形の入口を穿ち、內部に漆箔を貼した二葉の唐戶を設けて居る。
奥ノ院 皇嘉門より老松古杉の間を通ずる參道を登ると、先づ拜殿に達する。拜殿は五間三面入母屋造、銅瓦本葺、前後に軒唐破風があり、內部は全部蠟色塗、彫刻その他に極彩色を施し、餝金具などによつて裝飾されて居る。拜殿の後方に唐門がある。鑄拔門とも稱し靑銅製の鑄物である。その左右より石柵をめぐらし、寶塔を圍繞して方形の墳域を作つて居る。墳域の中央には寶塔がある。慶安四年五月六日三代將軍家光の遺骸を葬つた所である。

