雷電神社
雷電神社
昭和初期のガイド文
古河駅の西北約12km、東武線館林駅の東約8km、伊奈良村板倉にあり、いずれも自動車の便があります。火雷神を祀ります。社殿は江戸時代末期の建築となり、本殿は二間社流造で、内陣外部の羽目および腰羽目などに複難な絵様彫刻を付加し、極彩色を施しています。境内にある八幡および稲荷の2神を祀る末社は、天文年間の建築で現在国宝になっています。もとは二間社春日造であったものを後世仮の修補を加え切妻瓦葺になっています。その建築は極めて小規模ですが蟇股の形状彫刻など非常に優美典雅なものがあり、よく室町時代の特徴を残し、本殿の鈍重複雑な江戸末期の彫刻と対比する時は、両者の相異が容易に理解されるでしょう。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 雷電神社
- かな
- らいでんじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 群馬県邑楽郡板倉町板倉2334
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の西北約一二粁、東武線館林驛の東約八粁、伊奈良村板倉にあり、何れも自動車の便がある。火雷神を祀る。社殿は江戶時代末期の建築にかゝり、本殿は二閒社流造で、內陣外部の羽目及腰羽目などに複難な繪樣彫刻を附加し、極彩色を施して居る。境內にある八幡及稻荷の二神を祀れる末社は、天文年閒の建築で今國寶になつて居る。もとは二閒社春日造であつたものを後世假の修補を加へ切妻瓦葺になつて居る。その建築は極めて小規模であるが蟇股の形狀彫刻など頗る優美典雅なるものあり、よく室町時代の特徵を存し、本殿の鈍重複雜なる江戶末期の彫刻と對比する時は、兩者の相異が容易に理解されるであらう。