甘棠院

甘棠院[臨濟宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

久喜駅の西北1.5km、久喜町馬場にあり、室町時代の永正年間(1504~1521年)足利政氏がその一族貞巌和尚を聘して創建した寺で、境内に足利政氏の墓があります。寺宝の伝貞巌和尚の画像は紙本著色、長さ1.8m、幅60cm、源直朝の筆で国宝に指定されています。落欺に月菴作と書き、その下に源の文字ある壺形の印および直朝の文字ある方印があります。椅子によりかかった像で黒色の衣に白色の袈裟をかけ、右手に払子を持ち左手に軽くその末端をとり、泰然とした風貌を備え、よく個性が現れています。筆者直朝は戦国時代の武人で、はじめ足利晴氏および義氏に随従していましたが、晩年武蔵国幸手庄に隠退して風月を友とし、時に和歌を詠じ彩管を執って自から娯んでいました。要するにこの像は室町時代の武人の描いた画像として異彩を有し、日本の絵画史の研究資料として貴重なものです。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
甘棠院
かな
かんとういん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
埼玉県久喜市本町7-2-18
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西北一粁半、久喜町馬場にあり、永正年閒足利政氏がその一族貞巖和尙を聘して創建した寺で、境內に足利政氏の墓がある。寺寶の傳貞巖和尙の畫像は紙本著色、長さ一米八(六尺)、幅六〇糎(二尺)源直朝の筆で國寶に指定されて居る。落欺に月菴作と書き、その下に源の文字ある壺形の印及直朝の文字ある方印がある。椅子によれる像で黑色の衣に白色の袈裟をかけ、右手に拂子を持ち左手に輕くその末端をとり、泰然たる風貌を備へ、よく個性が現はれて居る。筆者直朝は戰國時代の武人で、はじめ足利晴氏及義氏に隨從して居たが、晚年武藏國幸手庄に隱退して風月を友とし、時に和歌を詠じ彩管を執つて自から娛んで居た。要するにこの像は室町時代の武人の描いた畫像として異彩を有し、わが國繪畫史の硏究資料として貴重なるものである。

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