円覚寺

圓覺寺[臨濟宗本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

北鎌倉駅に隣接しています。鎌倉時代の弘安5年(1282年)北条時宗の創建で、開山は時宗の招聘に応じて来朝した宋の学僧仏光禅師です。それ以来、禅門の道場として名高く、僧侶の専門道場となってきたほか、いまでも一般学生や名家から参禅する人が少なくないところです。建築物の主なものは舎利殿、開山堂、北条時宗廟などで、方丈や仏殿は復興中です。

舎利殿[国宝] 山麓にあり、弘安5年の建築で日本に現存する禅宗建築のなかでも最古のものです。五間四面重層、入母屋造、上層の屋根は茅葺で下層は杮葺になっています。内部は床を張らず瓦敷としていて、柱には粽があり、礎石と柱の間には礎盤があります。下層の軒下は簡素で、桝組は三斗、垂木は繁垂木を使用していますが、これに対して上層は極めて賑やかです。桝組は唐様三手先尾垂木を加え、軒には二重の扇垂木を使用しています。扉は桟唐戸、窓は一種風変りの火灯窓です。欄間には波線を描く一種の堅子が入れてあります。内陣の仏壇には仏舎利を納めた水晶塔を置き、仏壇の前に観音・地蔵の立像が安置してあります。これらから舎利殿は鎌倉時代にできた唐様の標本として優れているといえます。大正12年(1923年)の震災で倒壊しましたが、同14年(1925年)に修理完成しました。

仏光国師像[国宝] 開山塔に安置してあります。寄木造玉眼彩色の坐像で高さ77cm、開山塔が建武2年(1335年)夢窓国師の建立であることから、この像もその頃の作と推定されています。作風は堅実でいかにも真摯な風貌が現れています。椅子も同作で国師来朝の物語にちなんで竜と鳩の彫刻が施されています。

銅鐘[国宝] 境内丘上の鐘楼にかかっています。高さ約2.7m、北条貞時の鋳造で、次の銘文があります。

皇帝万歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安 相模州瑞麗山円覚興聖禅寺鐘銘 鶴岡之北富士之東有大円覚為釈氏宮 恢廓賢聖蹴踏象竜範囲天地素驚全功 鉻金去鉱煆煉頑銅成大法器啓迪昏蒙 長鯨吼月幽谷伝空 法王号令神天景従祐民賛国植徳旌忠停残息 苦超越樊籠高輝 仏日普扇 皇風浩浩蕩蕩声震裳中 正安参年辛丑八月初七日本寺 大檀那従四位上行相模守平朝臣貞時勧緑同 成大器 当時住持伝法宗沙門 子墨 謹銘(以下省略)

  • 宝物
  • 羅漢図[国宝]三十三幅 伝張思恭筆 絹本淡彩 筆致は流麗で設色も美しいものです。
  • 智吉祥釈迦像[国宝]一幅 絹本著色 支那画 長約2.4m、幅約1.4m、形相は珍奇雄大で伝彩も壮麗です。
  • 跋陀婆羅像[国宝]一幅 宗淵筆 紙本淡彩 宗淵は円覚寺の僧、雪舟の弟子です。
  • 仏涅槃図[国宝]一幅 絹本著色 東京帝室博物館出陳
  • 仏光国師像[国宝]一幅 鎌倉時代の弘安7年(1284年)9月の自賛があります。
  • 虚空蔵菩薩像[国宝]一幅 絹本著色 藤原時代
  • 鐘馗図[国宝]一幅 紙本淡彩 山田道安筆 山田道安の画は世間にままあり、特に鐘馗図はほかに類品もありますが、この図は自由な運筆で強い墨線が走るところが爽快なもので、自ら専門画家には見られないような武人の気迫が現れています。道安の画のなかでも特に優れた作品であるといえます。
  • 円覚寺境内絵図[国宝]一幅
  • 富田庄図[国宝]一幅
  • 髹漆須弥壇[国宝]二基
  • 髹漆前机[国宝]一脚 鎌倉時代
  • 青磁香炉[国宝]一箇 同 鎌倉国宝館出陳
  • 定額寺官符[国宝]一幅
  • 北条時宗書状(弘安元年十二月二十三日)[国宝]一幅
  • 北条時宗書状(七月十八日)[国宝]一幅 弘安6年(1283年)円覚寺が将軍家の祈祷所となった際、時宗が祝いの言葉を仏光国師に送った書状です。その書には高邁の気が溢れ人柄が偲ばれます。
  • 仏光国師書状(七月十八日)[国宝]一幅
  • 円覚寺年中用米注進状(弘安六年九月二十七日)[国宝]一幅
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
円覚寺舎利殿

令和に見に行くなら

名称
円覚寺
かな
えんがくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県鎌倉市山ノ内409
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

北鐮倉驛に接近して居る。弘安五年北條時宗の創建にかゝり、開山は時宗の招聘に應じて來朝した宋の學僧佛光禪師である。爾來禪門の道場として名高く、僧侶の專門道場たる外、今尙一般學生及名家の參禪する者が少くない。建築物の主なるものは舍利殿、開山堂、北條時宗廟などで、方丈及佛殿は復興中である。

舍利殿[國寶] 山麓にあり、弘安五年の建築でわが國現存の禪宗建築中最古のものである。五閒四面重層、入母屋造、上層の屋根は茅葺で下層は杮葺になつて居る。內部は床を張らず瓦敷とし、柱は粽を有し、礎石と柱の閒には礎盤がある。下層の軒下は頗る簡單で、桝組は三斗、棰は繁棰を用ゐて居るが、これに反し上層は極めて賑かである。卽ち桝組は唐樣三手先尾棰を加へ、軒には二重の扇棰を使用して居る。扉は棧唐戶、窓は一種風變りの火燈窓である。欄閒には波線をなせる一種の堅子が入れてある。內陣の佛壇には佛舍利を納めた水晶塔を置き、佛壇の前に觀音及地藏の立像が安置してある。要するに舍利殿は鐮倉時代に出來た唐樣の好標本である。大正十二年の震災に顛倒したが、同十四年に修理完成した。

佛光國師像[國寶] 開山塔に安置してある。寄木造玉眼彩色の坐像で高さ七七糎(二尺五分)、開山塔が建武二年夢窓國師の建立であるからこの像もその頃の作と察せられる。作風堅實にして如何にも眞摯な風貌を現はして居る。椅子も同作で國師來朝の物語に因んで龍と鳩の彫刻を著けて居る。

銅鐘[國寶] 境內丘上の鐘樓にかゝつて居る。高さ約二米七(九尺)北條貞時の鑄造にかゝり、次の銘文がある。

皇帝萬歲 重臣千秋 風調雨順 國泰民安 相模州瑞麗山圓覺興聖禪寺鐘銘 鶴岡之北富士之東有大圓覺爲釋氏宮 恢廓賢聖蹴踏象龍範圍天地素驚全功 鉻金去鑛煆煉頑銅成大法器啓迪昏蒙 長鯨吼月幽谷傳空 法王號令神天景從祐民贊國植德旌忠停殘息 苦超越樊籠高輝 佛日普扇 皇風浩浩蕩蕩聲震裳中 正安參年辛丑八月初七日本寺 大檀那從四位上行相模守平朝臣貞時勸綠同 成大器 當時住持傳法宗沙門 子墨 謹銘(以下省略)

  • 寶物
  • 羅漢圖[國寶]三十三幅 傳張思恭筆 絹本淡彩 筆致流麗にして設色も美事である。
  • 智吉祥釋迦像[國寶]一幅 絹本著色 支那畫 長約二米四(八尺)幅約一米四(四尺五寸)形相珍奇雄大にして傳彩もまた壯麗である。
  • 跋陀婆羅像[國寶]一幅 宗淵筆 紙本淡彩 宗淵は圓覺寺の僧にして雪舟の弟子である。
  • 佛涅槃圖[國寶]一幅 絹本著色 東京帝室博物館出陳
  • 佛光國師像[國寶]一幅 弘安七年九月の自贊あり
  • 虛空藏菩薩像[國寶]一幅 絹本著色 藤原時代
  • 鐘馗圖[國寶]一幅 紙本淡彩 山田道安筆 山田道安の畫は世閒に往々あり、殊に鐘馗圖は他に類品もあるがこの圖は自由な運筆で强い墨線で行く所に最も爽快な氣持があり、自ら專門畫家に見られぬ武人の氣魄さへ現はれて居る。蓋し道安畫中の一優品である。
  • 圓覺寺境內繪圖[國寶]一幅
  • 富田庄圖[國寶]一幅
  • 髹漆須彌壇[國寶]二基
  • 髹漆前机[國寶]一脚 鐮倉時代
  • 靑磁香爐[國寶]一箇 同 鐮倉國寶館出陳
  • 定額寺官符[國寶]一幅
  • 北條時宗書狀(弘安元年十二月二十三日)[國寶]一幅
  • 北條時宗書狀(七月十八日)[國寶]一幅 弘安六年圓覺寺が將軍家の御祈祷所となつた御敎書につけて、時宗が祝意を表する爲佛光國師に送つた書狀である。その書高邁の氣が橫溢し自らその爲人が偲ばれる。
  • 佛光國師書狀(七月十八日)[國寶]一幅
  • 圓覺寺年中用米注進狀(弘安六年九月二十七日)[國寶]一幅

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