大倉集古館

大倉集古館

昭和初期のガイド文

市内電車西久保巴町下車、赤坂区葵町にあります。大正6年(1917年)男爵大倉喜八郎の寄附によって創設されましたが、大正12年(1923年)の震災で焼失、男爵が再び寄附し昭和2年(1927年)に復興されました。中国風の建築で、陳列場は階上階下の2室に分かれ、総面積約800m²(250坪)あります。階下の陳列品で最も注目されるものは、中国三国時代石彫の獅子でその製作は大いに優秀です。そのほか中国の墓誌石、煉瓦、瓦当、銭笵、西蔵の金銅仏などの中にも貴重なものがあります。階上には絵画、彫刻、漆器に刀剣類が陳列されています。なかでも普賢菩薩の像は象の背に置かれた蓮座上で合掌する像で、精緻な装飾を施した平安時代の優秀な木彫仏です。また蒔絵の手箱は鎌倉時代の優秀な作で、蓋の表に長生殿の図を葦手絵で表現し、側面には扇面散の模様が蒔絵にされています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
大倉集古館
かな
おおくらしゅうこかん
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
令和元年(2019年)に建て替えられました。
住所
東京都港区虎ノ門2-10-3
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市內電車西久保巴町下車、赤坂區葵町にある。大正六年男爵大倉喜八郞の寄附によつて創設されたが、大正十二年の震災に燒失し、再び同男爵の寄附により昭和二年に復興された。支那風の建築で、陳列場は階上階下の二室に別かれ、總面積約八アール(二五〇坪)ある。階下の陳列品中最も注意すべきものは、支那三國時代石彫の獅子でその製作頗る優秀である。その他支那の墓誌石、塼、瓦當、錢笵、西藏の金銅佛などの中にも貴重なるものがある。階上には繪畫、彫刻、漆器及刀劍類が陳列されて居る。中に普賢菩薩の像は象の背に置かれた蓮座上に合掌せる像で、精緻なる裝飾を施した平安時代の優秀な木彫佛である。また蒔繪の手箱は鐮倉時代の優秀な作で、蓋表に長生殿の圖を葦手繪で現はし、側面には扇面散の模樣が蒔繪にされて居る。

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