衆楽園
衆樂園
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
鶴山公園の北0.5km、山北にあります。江戸時代前期の明暦年間(1655~1658年)森長継の築造で、江戸時代中期の享保5年(1720年)修理を加えられましたが、維新後藩庁に所属させ誰でも遊覧できる地としました。一時荒廃して廃園されようとしたのを、明治17年(1884年)津山公園として園池亭樹等の修理をしました。大正14年(1925年)津山町移管とともに努めて旧景に復し、衆楽公園としました。森氏当時の建築である余芳閣のほかに迎賓館、清涼軒、風月軒などがあり、古松老楓がこれを巡って雅趣があります。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 衆楽園
- かな
- しゅうらくえん
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 岡山県津山市山下135
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
鶴山公園の北半粁、山北にある。明曆年閒森長繼の築造で、享保五年修理を加へられたが、維新後藩廳に屬せしめて衆庶遊覽の地とした。一時荒廢して廢園されんとしたのを、明治十七年津山公園となして園池亭樹等の修理をした。大正十四年津山町移管と共に努めて舊景に復し、衆樂公園とした。森氏當時の建築である餘芳閣の他に迎賓館、淸涼軒、風月軒などあり、古松老楓これを繞つて雅趣がある。