仙台城跡
仙臺城址
昭和初期のガイド文
仙台駅の西南約2.5km、市内電車大町一丁目で下車し、大橋を渡ると城門の前に出ます。本丸跡およびその北麓一帯は現在公園となり二ノ丸跡には第二師団司令部が置かれています。自然の天険によって築城したもので前面には広瀬川を控え、後方は山を背負いはるかに宮城野を一望でき、非常に要害の地を占めています。現在本丸の石塁はわずかに一部分を残存し、また濠池の名残を留め、二ノ丸の大手門の厳然として遺存するのを見るのみですが、城郭の規模の大きかったことは現在でも指摘することができます。この城は初め千葉氏が居館を営み青葉城と呼びましたが、安土桃山時代の慶長年間(1596~1615年)政宗がここに築城して以来伊達氏の本城となりました。維新後廃城となり城池は破壊され当時の壮観を失いました。現在追手門は師団司令部(後半テキスト不明)
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 仙台城跡
- かな
- せんだいじょうあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 宮城県仙台市青葉区川内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の西南約二粁半、市內電車大町一丁目で下車し、大橋を渡ると城門の前に出る。「本丸址及その北麓一帶は今公園となり二ノ丸址には第二師團司令部が置かれて居る。自然の天險によつて築城したもので前面には廣瀨川を控へ、後方は山を背負ひ遙に宮城野を一眸の下に收め、頗る要害の地を占めて居る。今本丸の石壘僅に一部分殘存し、また濠池の名殘を留め、二ノ丸の大手門の嚴然として遺存するのを見るのみであるが、城郭の規模の大きかつたことは尙一一指摘される。この城は初め千葉氏が居館を營み靑葉城と呼んだが、慶長年閒政宗こゝに築城して以來伊達氏の本城となつた。維新後廢城となり城池は毀たれ當年の壯觀を失つた。今追手門は師團司令部