梁川城跡
梁川城址
昭和初期のガイド文
伊達郡梁川町鶴ヶ岡にあり、福島および伊達から電車および自動車の便があります。現在、梁川小学校のあるところを本丸跡と伝え、その周囲には断続的に塹壕が幾重にも廻らされた跡が残りその規模の壮大であったことが察されます。鎌倉時代の文治5年(1189年)伊達朝宗の築くところと伝えられ、代々伊達氏の居城でしたが、後安土桃山時代の慶長3年(1598年)以来上杉氏の臣須田氏が居住し、寛文4年(1664年)須田氏が米沢へ移った後は廃城となりました。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 梁川城跡
- かな
- やながわじょうあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
伊達郡梁川町鶴ケ岡にあり、福島及伊達から電車及自動車の便がある。今、梁川小學校のある所を本丸址と傳へ、その周圍には斷續的に塹壕が幾重にも廻らされた跡が殘りその規模の壯大であつたことが察せられる。文治五年伊達朝宗の築く所と傳へられ、世々伊達氏の居城であつたが、後慶長三年以來上杉氏の臣須田氏が居り、寬文四年須田氏の米澤へ移つた後は廢城となつた。