霊山

靈山
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

阿武隈高原の北部に位置し、片麻岩からなり、玄武岩質の火山集塊岩がその頂上を覆い、非常に風化浸蝕を受けていわゆる奇岩怪石を戴いています。海抜790m、平安時代の貞観年中(859~877年)慈覚大師がこの山を開いて霊山寺を建立したと伝えています。建武中興の際、北畠顕家は陸奥守に任ぜられ、義良親王を奉じて多賀の国府に下向して奥羽の鎮撫にあたりましたが、足利尊氏の謀叛におよび、凶徒蜂起して国府に止まることができず、延元2年(1337年)伊達行朝ならびに霊山寺の僧徒を頼んでこの山に移り居館を構えていました。

登山には福島から電車で掛田または梁川に至り、それから霊山神社を経由するものを表参道とします。掛田から神社まで約5km、梁川から神社まで約6km、また見入石からも登ります。東の相馬郡方面からは中村町から中村街道により東玉野に至り、玉野を経て登ります。霊山神社から表参道を南へ下り祓川の渓谷に沿って登ると約6kmで霊山の山頂に達します。途中、左右に田中坊、小坂坊、滝本坊、竹ノ坊などの遺址と伝わるところを見、一ノ鳥居跡に達すると礎石が6個残っています。山上には昔、霊山寺建立の時勧講された日枝神社の遺跡があり、ここに日枝の小祠があります。背後に三上参次博士撰文の霊山銅碑が立っています。その小祠からさらに東へ進むと霊山寺の跡と推測されているところがあり、多くの礎石が遺っています。また小祠から南に進めば国司館跡と伝わる遺跡があります。ここに霊山城の碑があり、「顕家公本丸跡」と題する標柱が建っています。

※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行

令和に見に行くなら

名称
霊山
かな
りょうぜん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福島県伊達市霊山町石田釜ケ平
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

阿武隈高原の北部に位し、片麻岩よリ成り、玄武岩質の火山集塊岩がその頂上を掩ひ、甚だしく風化浸蝕を受けて所謂奇岩怪石を戴いて居る。海拔七九〇米、貞觀年中慈覺大師がこの山を開いて靈山寺を建立したと傳へて居る。建武中興の際、北畠顯家は陸奧守に任ぜられ、義良親王を奉じて多賀の國府に下向して奧羽の鎭撫にあたつたが、足利尊氏の叛くに及び、凶徒蜂起して國府に止まること能はず、延元二年伊達行朝竝に靈山寺の僧徒を賴んでこの山に移り居館を構へて居た。

登山には福島から電車で掛田または梁川に至り、それより靈山神社を經由するものを表參道とする。掛田から神社まで約五粁、梁川から神社まで約六粁、また見入石からも登る。東方相馬郡方面からは中村町より中村街道により東玉野に至り、玉野を經て登る。靈山神社から表參道を南へ下り祓川の溪谷に沿ひ登ると約六粁で靈山の山頂に達する。途中、左右に田中坊、小坂坊、瀧本坊、竹ノ坊などの遺址と傳ふる所を見、一ノ鳥居址に達すると礎石が六個殘つて居る。山上には昔、靈山寺建立の時勸講された日枝神社の遺址があり、こゝに日枝の小祠がある。背後に三上參次博士撰文の靈山銅碑が立つて居る。その小祠より更に東へ進むと靈山寺の址と推測せられて居る所があり、多くの礎石が遺つて居る。また小祠から南方に進めば國司館址と傳ふる遺址がある。こゝに靈山城の碑があり、「顯家公本丸跡」と題する標柱が建つて居る。

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