福島市
福島市
昭和初期のガイド文
福島県の東北部、福島盆地の中部、阿武隈河岸に位置し、交通の要衝にあたり、福島県行政金融の中心。生糸、繭の取引が盛んです。人口約4万4,000人、市内の本町、大町、栄町、置賜町は商店街です。この地はもと信夫といい信夫国造の治めたところです。平安時代の治承、鎌倉時代の文治の頃には杉目太郎行信がこの地を領したと伝えられています。室町時代の天文18年(1549年)会津蒲生氏の領となり、木村重次が大森城からここに移り、その後福島と呼ぶようになりました。安土桃山時代の慶長年間(1596~1615年)には本荘繁長が上杉氏の城代としてここに居住し、後本多、堀内2氏を経て江戸時代中期の元禄(1688~1704年)以後板倉氏の城地となり、明治維新に至ります。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 福島市
- かな
- ふくしまし
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県福島市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
福島縣の東北部、福島盆地の中部、阿武隈河岸に位し、交通の要衝にあたり、福島縣行政金融の中心。生絲、繭の取引が盛である。人口約四萬四千、市內の本町、大町、榮町、置賜町は商店街である。この地はもと信夫といひ信夫國造の治めた處である。治承、文治の頃には杉目太郞行信がこの地を領したと傳へられて居る、天文十八年會津蒲生氏の領となり、木村重次が大森城からこゝに移り、その後福島と呼ぶやうになつた。慶長年閒には本莊繁長が上杉氏の城代としてこゝに居り、後本多、堀內二氏を經て元祿以後板倉氏の城地となり、明治維新に至る。