呉市

吳市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

狩留賀浜、吉浦、呉3駅所在地。広島湾の東南にあって江田島、倉梯島等を前面に控え第2海軍区の軍港です。呉はもと庄名で室町時代の頃からその名が見え、久礼、榑の文字で表され、船材の産出から出たものです。明治23年(1890年)4月鎮守府の開庁以来次第に繁栄に赴き、日本の重要な軍港として発達し、同35年(1902年)市制施行地となり、昭和3年(1928年)4月吉浦、警固屋、阿賀の3町を編入し、現在の市域は東西約8.4km、南北約8.6km、面積おおよそ48km²、規模宏大な海軍の工場があります。市の特産物に金ペン、万年筆等があり、清酒は生産品の首位を占めています。水路の交通には吉浦、河原石および阿賀の3港があって、入港船は近年激増しました。人口は19万人。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
呉市
かな
くれし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県呉市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

狩留賀濱、吉浦、吳三驛所在地。廣島灣の東南にあつて江田島、倉梯島等を前面に控へ第二海軍區の軍港である。吳はもと庄名で室町時代の頃からその名見え、久禮、榑の文字で表はされ、船材の產出から出たものである。明治二十三年四月鎭守府の開廳以來次第に繁榮に赴き、我が國重要な軍港として發達し、同三十五年市制施行地となり、昭和三年四月吉浦、警固屋、阿賀の三町を編入し、現在の市域は東西約八粁四、南北約八粁六、面積凡そ四八方粁、規模宏大なる海軍の工場がある。市の特產物に金ペン、萬年筆等があり、淸酒は生產品の首位を占める。水路の交通には吉浦、河原石及阿賀の三港があつて、入港船は近年激增した。人口十九萬。

呉のみどころ