津山城

津山城址(鶴山城址)
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

津山駅の北1km、市の中央にあります。室町時代の嘉吉元年(1441年)山名教清が、赤松満祐を討滅した功によってこの地の守護職に任じられ、その一族である山名忠政にここに築城させたのを初めとし、尼子、毛利、宇喜多、小早川諸氏が相次いでこれを所領しましたが、江戸時代前期の慶長9年(1604年)森忠政がここに封ぜられる際に府城を起し、土木経営、13年をかけて元和2年(1616年)完成しましたが、江戸時代中期の元禄10年(1697年)森長成が没して転封され、翌11年(1698年)松平長矩が代わってこの地に封ぜられ、子孫相次いで維新に至りました。明治6年(1873年)天守閣が壊されるのを初めとし城楼は次第に破却されて、現在は石塁だけを遺存し、鶴山公園となっています。天守閣跡に明治10年(1877年)建設の記念碑がたち、公会堂鶴山館がありますが旧藩校の校舎を改築したものです。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
津山城
かな
つやまじょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県津山市山下135
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の北一粁、市の中央にある。嘉吉元年、山名敎淸、赤松滿祐を討滅した功によりてこの地の守護職に補せられ、その一族たる山名忠政をしてこゝに築城せしめたのを初めとし、尼子、毛利、宇喜多、小早川諸氏相繼いでこれを所領したが、慶長九年森忠政こゝに封ぜられるに及び、府城を起し、土木經營、十三年を閱して元和二年成つたが、元祿十年森長成歿して國除かれ、翌十一年松平長矩代りてこの地に封ぜられ、子孫相つぎ維新に至つた。明治六年天守閣毀たれたるを初めとし城樓次第に破卻せられて、今石壘のみを遺存し、鶴山公園となつて居る。天守閣址に明治十年建設の記念碑たち、公會堂鶴山館があるが舊藩校の校舍を改築したものである。

津山のみどころ