津山市

津山市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

津山盆地の中央に位置し、中国山脈から発して南下する吉井川はその西部で東折し、市の中央を貫流しています。東西約10km、南北約10km、面積約40km²、生産物の集散が盛んです。人口は3万5,000人。

この地は古くは苫田郡田中郷に属し、国府に近く水陸の便があることで商売人が多く集まり、富川宿または富川市と称する小村となりましたが、江戸時代前期の慶長9年(1604年)国主森忠政が城を鶴山に築いてから武士や庶民が集い、付近一帯を津山と称するようになりました。森氏は4代で転封され、江戸時代中期の元禄11年(1698年)松平長矩が入城し代々相続し維新に至りました。昭和4年(1929年)2月津山町を中心として津山東町、西苫田村、二宮村、院庄村および福岡村の2町4村が合併して津山市となりました。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
津山市
かな
つやまし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県津山市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

津山盆地の中央に位し、中國山脈から發して南下する吉井川は其西部で東折し、市の中央を貫流して居る。東西約一〇粁、南北約一〇粁、面積約四〇方粁、生產物の集散敏活である。人口三萬五千。

この地は古へ苫田郡田中鄕に屬し、國府に近く水陸の便あるを以て商賈多く集り、富川宿または富川市と稱する小邑をなしたが、慶長九年國主森忠政城を鶴山に築いてから士庶輻湊して、附近一帶を津山と汎稱するに至つた。森氏は四代で國除され、元祿十一年松平長矩入城し代々相承けて維新に至つた。昭和四年二月津山町を中心として津山東町、西苫田村、二宮村、院庄村及福岡村の二町四ケ村が合倂して津山市となつた。

津山のみどころ