吉備公廟
吉備眞備墓
昭和初期のガイド文
吉備寺の背後にある天神山と称する小丘上にあり、五輪塔が建っています。江戸時代中期の元禄年間(1688~1704年)この場所から枯骨を後見したので、江戸時代後期の弘化4年(1847年)藩主伊東長寛がこの跡に現在の墓石を建てました。館跡は三谷村藤棚にある吉備大臣宮と称するものがそれであると伝わっています。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 吉備公廟
- かな
- きびこうびょう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 岡山県倉敷市真備町箭田
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
吉備寺の背後にある天神山と稱する小丘上にあり、五輪塔が建つて居る。元祿年閒この場所から枯骨を後見したので、弘化四年藩主伊東長寬がこの址に今の墓石を建てた。館址と傳ふるのは三谷村藤棚にある吉備大臣宮と稱するものをそれと傳へる。