宗麟原供養碑
宗麟原供養碑[指定史蹟]
昭和初期のガイド文
川南駅の西約8km、児湯郡川南村川南湯迫の台地の南端で宗麟原と呼ばれる原野中に建っています。カンカン仏と呼ばれ総高約3.4mに近く六地蔵灯籠形で南面します。方形の竿石の正面および三面に銘文が刻まれています。
六角火袋形の塔身各面には地蔵尊像が浮き彫りされています。天正6年(1578年)、島津義久が、大友宗麟の大軍をこの地に撃ってこれを破り、敵味方ともに戦死者が多数ありましたが、同13年(1585年)島津氏の部将で高城の城主であった山田信介有信が大乗妙典1,000部を奉誦し建立したのがこの碑で、武士道仁慈の至情を表したものです。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 宗麟原供養碑
- かな
- そうりんばるくようとう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 宮崎県児湯郡川南町
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
川南驛の西約八粁、兒湯郡川南村川南湯迫の臺地の南端で宗麟原と呼ばれる原野中に建つて居る。カンカン佛と呼ばれ總高約九尺に近く六地藏燈籠形で南面する。方形の竿石の正面及三面に銘文が刻される。
六角火袋形の塔身各面には地藏尊像が浮彫されて居る。天正六年、島津義久、大友宗麟の大軍をこの地に邀擊ちてこれを敗り、敵味方共に戰死者多數あつたが、同十三年島津氏の部將で高城々主たりし山田信介有信が大乘妙典一千部を奉誦し建立したのがこの碑で、武士道仁慈の至情を表はしたものである。