瑠璃寺

瑠璃寺(南光坊)[古義眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

播磨新宮駅の西北30km、三河村船越にあります。奈良時代の神亀5年(728年)の開創といい、古くは山内12か院を有する大寺でしたが、建武中兵火にかかり、赤松氏がこれを再興修営し、時代下り江戸時代前期の万治年間(1658~1661年)に至って西三十三国修験道管轄南光坊と称しました。諸建物は寛永9年(1632年)の火災後に再建されたもので、仁王門本堂、鐘楼、護摩堂、薬師堂等諸堂宇が備わっています。

  • 宝物
  • 不動明王および二童像[国宝] 絹本著色 1幅 海中岩上に趺坐する明王と、合掌する矜羯羅と棒を持つ制吒迦の両童子を画いたもので、画風は大体藤原時代の手法で著色麗密、精巧な切金文様が施されていて、鎌倉初期の名画です。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
瑠璃寺
かな
るりじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県佐用郡佐用町船越877
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

播磨新宮驛の西北三〇粁、三河村船越にある。神龜五年の開創と云ひ、古くは山內十二箇院を有する大寺であつたが、建武中兵燹にかゝり、赤松氏はこれを再興修營し、降つて萬治年閒に至つて西三十三國修驗道管轄南光坊と稱した。諸建物は寬永九年の火災後に再建されたもので、仁王門本堂、鐘樓、護摩堂、藥師堂等諸堂宇が備はつて居る。

  • 寶物
  • 不動明王及二童像[國寶] 絹本著色 一幅 海中岩上に趺坐せる明王と、合掌せる矜羯羅と棒を持つ制吒迦の兩童子を畫いたもので、畫風は大體藤原時代の手法で著色麗密、精巧な切金文樣が施されて居り、鐮倉初期の名畫である。

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