觜崎の屏風岩

觜崎の屏風岩[指定天然紀念物]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東觜崎駅の西北約1km、揖保川の東岸越部村觜崎字鶴嘴山および神岡村大住寺字大源寺の鶴嘴山にあります。山は青白色の凝灰質石英粗面岩からなり、西に向かって50度以上の急斜面となり、この斜面に一大岩脈が屏風のように突出して露出し、屏風岩の名があります。走向南65度東、山の斜面にほぼ直角となって突出し、その下脚は水中に没し、厚さは約4.5~7mあまり、高さは多くは5~8m、最高12mに達し、河水面から岩脈の長さ76m、海抜80mのところで断絶しています。17mを隔てて再露出し、幅数m、高さ4m内外と小さくなり、長さ45.5mで再中絶し、30mを隔てて3度露出し、その幅8m以下、長さ41mで頂上に達し、頂上における岩脈の幅は3mほど、海抜160mです。この大岩脈の南約20mを隔てて、さらに30mの露出となる一小岩脈があります。その下方は石英粗面岩と境界が判然せず、頂上における高さは8.5mで、南面に絶壁となり、頂上の幅は4.8mで、著しい柱状節理となり、岩脈が母岩の両側面から冷却して柱状節理を形成する理を示す好標本です。屏風岩の母岩である石英粗面岩は、地動力のために裂罅を生じ、地球内部の熔融体がこれに乗じて噴出し、石英安山岩の一大岩脈を形成しました。この岩脈は母岩よりも硬いため、風化に後れて、母岩から屏風のように突出するに至ったものです。岩脈はその合成である角閃石が変化して、現在は朽安山岩一名粒状安山岩となって、松、コケ、シダ等がこれに生じ、暖地性シダであるマツバラン産地の最北限であるといいます。付近では夏季に鮎狩りが行われます。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
觜崎の屏風岩

令和に見に行くなら

名称
觜崎の屏風岩
かな
はしさきのびょうぶいわ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県たつの市新宮町觜崎425
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

東觜崎驛の西北約一粁、揖保川の東岸越部村觜崎字鶴嘴山及神岡村大住寺字大源寺の鶴嘴山にあり。山は靑白色の凝灰質石英粗面岩より成り、西に向つて五〇度以上の急斜面をなし、この斜面に一大岩脈が屏風の如く突出して露はれ、屏風岩の名がある。走向南六五度東、山の斜面に略直角をなして突出し、その下脚は水中に沒し、厚さは約四、五米乃至七米餘、高さ多くは五米乃至八米、最高一二米に達し、河水面から岩脈の長さ七六米、海拔八〇米の處で斷絕して居る。一七米を隔てゝ再露出し、幅數米、高さ四米內外に減じ、長さ四五・五米にして再中絕し、三〇米を隔てゝ三度露出し、その幅八米以下、長さ四一米にして頂上に達し、頂上に於ける岩脈の幅は三米に足らず、海拔一六〇米である。この大岩脈の南方約二〇米を隔てゝ、更に三〇米の露出をなす一小岩脈がある。その下方は石英粗面岩と境界が判然せず、頂上に於ける高さ八・五米にして、南面に絕壁をなし、頂上の幅は四・八米にして、著しい柱狀節理をなし、岩脈が母岩の兩側面より冷卻して柱狀節理を形成する理を示す好標本である。屏風岩の母岩たる石英粗面岩は、地動力のために裂罅を生じ、地球內部の熔融體がこれに乘じて噴出し、石英安山岩の一大岩脈を形成した。この岩脈は母岩よりも硬いため、風化に後れて、母岩から屏風の如く突出するに至つたのである。岩脈はその合成たる角閃石が變化して、今は朽安山岩一名粒狀安山岩となつて、松樹、蘚苔、羊齒等がこれに生じ、暖地性羊齒である松葉蘭產地の最北限であらうと云ふ。附近では夏季鮎狩が行はれる。

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