千葉市
千葉市
昭和初期のガイド文
東京湾の東南隅に臨み明治6年(1873年)県治の中心となり後に医科大学、鉄道連隊などが市の内外に設けられて繁栄を加え、人口4万2,000人におよびます。この地は中世千葉氏の勢力下にあった当時、居城を構えた地で、その城址は猪ノ鼻台にあって現在市の公園となっています。展望に富み、園内に石器時代の砥石があります。海岸は袖ヶ浦の一部で海水浴が行われます。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 千葉市
- かな
- ちばし
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 千葉県千葉市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
東京灣の東南隅に臨み明治六年縣治の中心となり後醫科大學、鐵道聯隊などが市の內外に設けられて繁榮を加へ、人口四萬二千に及ぶ。この地は中世千葉氏の盛大なりし當時、居城を營んだ地で、その城址は猪ノ鼻臺にありて今市の公園となつて居る。展望に富み、園內に石器時代の砥石がある。海岸は袖ケ浦の一部で海水浴が行はれる。