鬼怒沼山

鬼怒沼山

昭和初期のガイド文

鬼怒沼山は、日光白根山の北にそびえ、その東北には黒岩山、孫兵衛山、台倉高山、帝釈山など、いわゆる奥日光の標高2,000m級の山々が連なり、栃木県と群馬県の両県にまたがる分水嶺を形成しています。

この山を源流とする水流は、西へ向かうものは片品川に注ぎ込み利根川の上流となり、東へ向かうものは鬼怒川の源流をなしています。山頂には鬼怒沼の湿原が広がり、豊かな森林と渓流美が楽しめる奥日光ならではの独特な風景美を備えています。

鬼怒沼山への登山ルートは、大きく三方面に分かれます。一つ目は、日光湯元から金田峠を経て西沢金山へ向かい、湯沢の噴泉塔を見た後に鬼怒川上流の八丁の湯を経由して登るルートです。この場合、八丁の湯で1泊する必要があります。二つ目は、鬼怒川奥の川俣温泉を経て川沿いに八丁の湯へ至り、前述のルートに合流する方法です。川俣温泉へは、湯元から西沢金山を経由して約15kmで到達できます。通常、湯元から向かう人は川俣温泉で1泊します。また、川治温泉を経由し、栗山郷の鬼怒渓谷を探索しながら向かうルートもあります。この場合、鬼怒川温泉から約40kmの行程となります。三つ目は、上越線の南側から尾瀬沼を経由して登る方法です。このルートでは、鬼怒沼山が尾瀬沼と日光を結ぶ重要な位置にあることが感じられます。

川俣温泉から鬼怒沼山頂までは約13kmです。川俣温泉から鬼怒川上流へ向かうと、約3kmで夫婦淵に到達します。この間は常に渓流を左手に見下ろしながら、広葉樹の間を進む林道です。夫婦淵で左岸に渡ると、200mほど急登し、手白山からの尾根に登ります。その後、手白沢の落合に降りて再び本流に出ると、川原を進んだ先に八丁の湯があります。川俣温泉から八丁の湯までは約8kmの距離です。八丁の湯には野天の浴槽が1つあり、営林署が建設した小屋もあります。キャンプなどに適しており、日光湯元から噴泉塔を経由して来た人や、尾瀬沼から川俣温泉まで向かう際に遅くなった場合、ここで仮泊することもあります。八丁の湯からさらに遡ると急な登りとなり、広葉樹の間をほぼ一直線に登ります。その後、西へ少し向かいながら進むと、トガ、モミ、シラビソなどの美しい林が広がり、南には根名草山の景色が眺められます。さらに進むと森林が途切れ、木立が小さくなり鬼怒沼の湿原に出ます。湿原から山頂までは約600mですが、山頂は木立に囲まれて眺望はなく、通常はこの鬼怒沼を山頂と見なします。

鬼怒沼山の湿原は、南北に細長い形をした美しい湿原で、小さな12以上の沼が点在しています。湿原の両岸には針葉樹が茂り、それらが沼に影を映している景色が見事です。この湿原は湿地の最高の発達形態とされ、水蘚や泥炭の発達が見られます。本州でもこのような湿原は珍しく、その植物景観は北海道西部、南千島、樺太南部の湿原に似た趣を持っています。湿原には、チングルマ、モウセンゴケ、ヒメシャクナゲ、ツルコケモモ、イワカガミなどが紅白や黄色、紫の色彩で咲き誇っています。また、ハナゴケの群落やナガバノモウセンゴケも見られ、沼にはオヒルムシロなどが浮かんでいます。

湿原からは、西北方向に燧岳が筑波山のようにそびえ立ち、会津駒ケ岳や尾瀬沼方面が一望できます。南方向には根名草山や白根山が間近に迫り、四方には奥日光や奥上州の山々、谷々が波のように連なっています。山頂から東北の黒岩山までは約2kmの道があり、道は二手に分かれています。さらに東北へ進むと孫兵衛山を経て引馬峠に至ります。この引馬峠は会津の檜枝岐と鬼怒渓谷の川俣温泉の中間地点にあたります。

黒岩山の分岐点を左に進み、赤安山(あかやすやま)や袴腰山(はかまごしやま)の尾根を西へ下ると、尾瀬沼の長蔵小屋に到着します。この林道は鬼怒沼山頂から尾瀬沼まで約2kmです。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
鬼怒沼山
かな
きぬぬまやま
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県日光市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

日光白根山の北に聳え、その東北に黑岩山、孫兵衞山、臺倉高山、帝釋山など、所謂奥日光の二千米級の山々が連り、栃木、群馬兩縣に亘つてその分水嶺をなして居る。

この山に源を發して西するものは、片品川に注ぎ利根川の上流をなし、東するものは鬼怒川の原流となつて居る。山頂に鬼怒沼の濕原があり、森林及溪流美に富んで、奥日光の持つ特異な風景美を備へて居る。

登路には凡そ左の三方面がある。その一は日光湯元から金田峠を經て、西澤金山に至り、湯澤の噴泉塔を見て、鬼怒川上流の八丁の湯に出て登るので、これによると八丁の湯に一泊を要する。その二は鬼怒川奥の川俣溫泉を經て、川沿ひに八丁の湯に出て、前記の登路に合する。川俣溫泉へは湯元から西澤金山を經て約一五粁で、普通湯元から入る人は川俣に一泊する。川俣溫泉へは別途川治溫泉を經て、栗山郷の鬼怒溪谷を探つて行く道もある。これに依ると鬼怒川溫泉から約四〇粁である。その三は上越南線から入り尾瀨沼からも登られる。鬼怒沼山は尾瀨沼と日光の連絡に樞要な位置を占めて居る。

川俣溫泉から鬼怒沼山頂まで約一三粁。川俣溫泉から鬼怒川上流に向つて石岸の林道を約三粁で夫婦淵に出る。この間常に溪流を左に見下す濶葉樹間の林道である。夫婦淵で左岸に渡ると、急に二百米計り手白山からの尾根に登り、手白澤の落合に下つてまた本流に出て、川原を行くと八丁の湯がある。川俣溫泉から約八粁、こゝには野天の浴槽が一つあり、營林署建設の小屋もあり、キヤムプなどに適して居るので、日光湯元から噴泉塔を經て來る人々、尾瀨沼から來て川俣まで行くのに遲い時などはこゝに假泊する。八丁の湯から尙少しく溯ると急な登りとなり、濶葉樹の間を殆ど一直線に登る。少しく西に向つてからみ氣味に行くと栂、樅、白檜などの美林となり、南に根名草山が眺められる。森林も斑らに木立が小さくなつて鬼怒沼の濕原に出る。濕原から頂上までは約六〇〇米であるが、頂上は木立で眺望がなく、普通この鬼怒沼を頂上として居る。

沼は南北に狹長な美しい濕原をなし、小さな十二箇餘の沼池が濕原の間に點在して、その兩岸には針葉樹が茂つて沼池に影を映して居る。この濕原は濕地の最高發達と云はれ、水蘚泥炭の發達に到達して居る。本州中にもその類例が稀で、植物景觀は北海道西部、南千島、樺太南部の濕原に類似した趣があり、濕原に通有なちんぐるま、まうせんごけ、ひめしやくなげ、つるこけもゝ、いはかゞみなどが紅白黄紫に飾り、はなごけの群落、ながばのまうせんごけなども見られ、沼にはおひるむしろなどが浮んで居る。

こゝからは西北に燧岳が筑波山のやうに聳え、會津駒ケ岳から尾瀬沼方面が望まれる。南には根名草山から、白根山が間近に峯を見せる。四圍には悉く森林に蔽はれた奥日光、奥上州の山々谷々が波打つて居る。山頂から東北黑岩山へは約二粁で道は二路に分れる。尙東北に行くものは孫兵衞山を經て引馬峠に出る、引馬峠は會津の檜枝岐と鬼怒溪谷の川俣溫泉への中間となつて居る。

黑岩山の追分を左折して赤安山、袴腰山の尾根を西に下ると、尾瀬沼の長藏小屋に出る。この林道は鬼怒沼頂上から尾瀬沼まで約二粁である。

中禅寺湖のみどころ