中禅寺

中禪寺

昭和初期のガイド文

[天台宗] 日光駅の西約15km、幸の湖(中禅寺湖)の東岸にある景勝の地に位置しています。延暦年間(奈良時代末期~平安時代初期、782~806年)に勝道上人が創建したと伝えられています。もともと二荒山中宮祠の西隣にありましたが、明治時代に現在の場所へ移築されました。本堂は三間三面の宝形造で、千手観音像を安置しています。この観音像は桂の立木をそのまま彫刻したものと伝えられ、俗に「立木観音」と呼ばれています。高さ約5.5m(1丈8尺)で、形態はやや粗野に見えますが、荘重な表情を持ち、鎌倉時代の作でありながら刀法が非常に力強い作品です。国宝にも指定されています。

本堂の隣には宝物館があり、五間三面の入母屋造の建物内に多数の貴重な宝物が展示されています。以下は主な展示品です。

  • 鉄製斧(国宝):1柄。刃は琵琶の撥の形をしており、大きな猪目の透かし彫りがあります。柄は鍍金の蛭巻で装飾されており、全体的に凛々しく古雅な雰囲気を持つ貴重な品です。伝説によれば勝道上人が使用したとされていますが、鎌倉時代に日光山で修験行者が使用した道具として注目される稀有な遺品です。
  • 銅鋺(国宝):1口。以下の銘文が記されています。「奉施入于日光山中禅寺妙見大菩薩御宝前御器一具十枚、年延元元丙子六月晦日、世当今皇帝还城再位预闻以后醍醐院自号焉、当上人大现大工彦三郎入道施主比丘道贤为于不朽自笔耳。」この銘文は重要であり、建武中興(鎌倉時代末期~南北朝時代、1333~1336年)の際に、この地域にも一時的に大覚寺派の勢力が及んでいたことを証明する資料とされています。また、後醍醐天皇が延喜の聖帝(醍醐天皇)を深く敬慕され、在世中からその諡号を称していたことを示す重要な証拠となっています。
  • 錫杖(国宝):1枝。願主・秀海の銘が記されています。
  • 錫杖:1枝。永正10年(室町時代、西暦1513年)の銘があります。
  • 銅鏡(国宝):1面。八葉形で、鏡面には仏像の毛彫りが施されています。
  • 銘々盆:5枚。黒漆で内面には永禄5年(戦国時代、西暦1562年)の銘文が記されています。
  • 男体木像:1体。平安時代の作で、高さ約45cm(1尺5寸)。首部は大日如来のような造形ですが、東帯を着けて笏を持っています。
  • 女体木像:1体。平安時代の作で、高さ約76cm(2尺5寸)。黒髪を中央で分け、両手を袖に入れたまま膝の上で合わせており、神像のようにも見えます。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
中禅寺
かな
ちゅうぜんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県日光市中宮祠2578
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[天台宗] 驛の西約一五粁、幸の湖の東岸景勝の地にある。延曆年間勝道上人の創建と傳へ、もと二荒山中宮祠の西隣にあつたが、明治年間に今の地に移建された。本堂は三間三面の寶形造で、千手觀音像を安置して居る。桂の立木を以て造られたと傳へ俗に立木觀音と呼ぶ。高約五米半(一丈八尺)、形態稍粗大であるが莊重なる表情を有し、刀法頗る道勁な鎌倉時代の作で國寶に指定されて居る。

本堂の傍に寶物館がある。五間三面の入母屋造で多くの寶物を陳列して居る。次にその主なるものを示す。

  • 鐵製斧[國寶]一柄 刄は琵琶の撥形をなし、大きな猪日の透があり、柄は鍍金蛭卷で全體に凛々しく古雅なものである。傳勝道上人所用といふが鎌倉時代日光山に於ける修驗行者の道具で、その古制を徵すべき稀有の遺品である。
  • 銅鋺[國寶]一口 銘文 奉施入于日光山中禪寺妙見大菩薩御寶前御器一具十枚、年延元元丙子六月晦日、世當今皇帝還城再位預聞以後醍醐院自號焉、當上人大現大工彥三郞入道施主比丘道賢爲於不朽自筆耳。この銘文は注意すべきものであつて、建武中興の際には一時こゝにも大覺寺派の勢力が及んで居たことを立證すると共に、後醍醐天皇は延喜の聖帝を追慕し給ひ、御在世の當時からその謚號を稱し給ひしを知る有力なる資料である。
  • 錫杖[國寶] 一枝 願主秀海の銘あり
  • 錫杖 一枝 永正十年の銘あり
  • 銅鏡[國寶]一面 八葉形 鏡面に佛像の毛彫あり
  • 銘々盆 五枚 黑漆で內面に永祿五年の銘文あり
  • 男體木像 一軀 平安時代 高さ約四五糎(一尺五寸)、首部は大日如來の如くなるも東帶を著し笏を持つて居る。
  • 女體木像 一軀 平安時代 高さ約七六糎(二尺五寸)黑き髮を中央にて分け兩手を袖に入れたまゝ膝上に合せて居り、一見神像の樣である。

中禅寺湖のみどころ