二荒山神社中宮祠

二荒山神社中宮祠

昭和初期のガイド文

日光駅から西へ14km、男体山の山麓にあり、幸の湖(中禅寺湖)の北岸という風光明媚な場所に位置しています。この神社は日光二荒山神社の別宮です。本殿は三間社流造で銅瓦葺きとなっており、正面には三間の向拝が付けられています。周囲には勾欄付きの縁が巡らされ、桝組や上長押の部分には色鮮やかな繧繝彩色が施されています。また、軸部以下は朱塗りとなっています。拝殿は五間四面の入母屋造であり、本殿・拝殿ともに江戸時代の建築です。本殿の向かって右側には、宝永2年(江戸時代、1705年)に再建された勝道上人開山の碑があります。この碑のそばには男体山の表登山口があります。男体山の山頂には「二荒山神社」と称される小祠があり、大己貴命が祀られています。その西側には「太郎山神社」と呼ばれる祠があり、味耜高彦根命が祀られています。また、八合目付近には「滝尾神社」と呼ばれる祠があり、田心姫命が祀られています。この三社を総称して「奥社」と呼びます。これらは、勝道上人が日光に二荒山神社を創建した後、この地に勧請したものと伝えられています。古くから登山者は厳格な潔斎を行い、参拝してきました。その伝統は今でも残っており、毎年8月1日から1週間行われる「登拝祭」がその一例です。表参道から登る際は、中宮祠の社前で、また裏山の志津から登る場合は出張所の神官による祓を受けないと、登山は許されません。また、中宮祠近くの湖辺には籠もるための行屋もあります。

大正13年(大正時代、1924年)には、山頂の太郎山神社のそばから和銅開弥の銅銭や和鏡、小仏像、仏具などが多数発掘されました。これらは現在、日光の本社に収蔵されています。発掘された和鏡には藤原時代および鎌倉時代のものが多く含まれており、同時に発見された長方形の金銅板には「奉施入男体本宮永仁五年七月日(鎌倉時代、1297年)」と刻まれています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
二荒山神社中宮祠
かな
ふたらさんじんじゃちゅうぐうし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県日光市中宮祠2484
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西一四粁、男體山の山麓、幸の湖(中禪寺湖)の北岸風光明媚なる勝境にあり、日光二荒山神社の別宮である。本殿は三間社造流銅瓦葺、正面に三間の向拜を附し、周圍に勾欄付廻椽をめぐらし、桝組上長押まはりには繧繝彩色を施し、軸部以下は朱塗になつて居る。拜殿は五間四面の入母屋造で、本殿拜殿共に江戶時代の建築である。本殿の向つて右側には、寶永二年に重建した勝道上人開山の碑がある。この碑の傍に男體山表登山口がある。山上に三の小祠があり、頂上にあるを二荒山神社と稱す。大己貴命を祀り、その西方にあるを太郞山神社と稱し味耜高彦根命を祀り、八合日にあるを瀧尾神社と云ひ、田心姫命を祀つて居る。この三社を總稱して奥社と呼び勝道上人が日光に二荒山神社を創建した後、こゝ勸請したものと傳へられて居る。古來登山者は嚴重なる潔齋をなして參拜したもので、今にその遺風が殘つて居る。毎年八月一日から一週間行はれる登拜祭がそれで、表參道より登る者は、中宮祠の社前に於て、また裏山の志津からするものは、出張の神官から必ず祓を受けなければ登山を許されないことになつて居る。尙中宮祠に近き湖邊の行屋に籠るものもある。

大正十三年に山上の太郞山神社の傍から和銅開弥の銅錢、和鏡、小佛像、佛具などが多數發掘されたが、今日光の本社に藏されて居る。和鏡は藤原及鎌倉時代のもの多く、同時に發掘された長方形の金銅板には「奉施入男體本宮永仁五年七月日」の銘文がある。

中禅寺湖のみどころ