三浦安針の墓

三浦安針墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

横須賀駅の西1.5km、逸見町塚山の頂上にあり俗に安針塚といいます。山麓からやや険しい坂道を登ると小高い丘陵の上に2つの宝篋印塔が並んでいます。向かって右は安針、左のやや小さいものはその妻の墓で指定の史蹟となっています。安針は英国人で本名をウイリアム・アダムズといい、安土桃山時代の慶長3年(1598年)豊後に漂着した和蘭船の乗組員でしたが、慶長5年(1600年)徳川家康に仕えて造船に携わり、220石を逸見村に賜って三浦安針と名乗りました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
三浦安針の墓
かな
みうらあんじんのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県横須賀市西逸見町3-57
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西一粁半、逸見町塚山の頂上にあり俗に安針塚と云ふ。山麓よりやゝ嶮しい坂路を登ると小高い丘陵の上に二つの寶篋印塔が竝んで居る。向つて右は安針、左のやゝ小さいのはその妻女の墓で指定の史蹟である。安針は英國人で本名をウイリアム、アダムスと云ひ、慶長三年豐後に漂着した和蘭船の乘組員であつたが、慶長五年德川家康に仕へて造船のことに與り、采地二百二十石を逸見村に賜はり三浦安針と稱した。

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