山鹿素行の墓

山鹿素行墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市内電車牛込柳町停留場の北、弁天町宗参寺の内にあります。素行は会津の人で陽明学を学び、山鹿流兵法を創めました。江戸時代前期の貞享2年(1685年)64歳で没しました。明治年間(1868~1912年)正四位を贈られました。毎年9月26日に素行会で祭典を行っています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
山鹿素行の墓
かな
やまがそこうのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都新宿区弁天町1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同辨天町宗參寺の內にある。素行は會津の人陽明學を學び、山鹿流兵法を創めた。貞享二年六十四歲で歿した。明治年閒正四位を贈られた。每年九月二十六日に素行會で祭典を施行する。

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