関孝和の墓

關孝和墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市内電車牛込柳町停留場の北、弁天町浄輪寺境内にあります。孝和は上野の人、関流数学の祖で、江戸時代中期の宝永5年(1708年)67歳で没しました。明治年間(1868~1912年)従四位を贈られました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
関孝和の墓
かな
せきたかかずのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都新宿区弁天町70 浄輪寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市內電車牛込柳町停留場の北、辨天町淨輪寺境內にある。孝和は上野の人、關流數學の祖で、寶永五年六十七歲で歿した。明治年閒從四位を贈られた。

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