桜田門
櫻田門
昭和初期のガイド文
市内電車桜田門下車、もと江戸六口のひとつで小田原口と呼ばれました。完全に枡形門の遺構が残る城門のひとつでしたが、関東大震災で破損したため、渡櫓は鉄筋コンクリートで改造されています。江戸時代末期の万延元年(1860年)3月3日、時の大老井伊直弼が登城の途中水戸浪士に襲殺された「桜田門外の変」はこの門外でのことでした。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 桜田門
- かな
- さくらだもん
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 東京都千代田区皇居外苑
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車櫻田門下車、もと江戶六口の一で小田原口と稱した。完全に枡形門の遺構を存する城の一であつたが、關東大地震で破損したため、渡櫓は鐵筋コンクリートで改造されて居る。萬延元年三月三日時の大老井伊直弼が登城の途中水戶浪士に襲殺されたのはこの門外である。