宮城(皇居)

宮城

昭和初期のガイド文

江戸城跡にあります。江戸城は室町時代の長禄元年(1457年)、太田道灌が創築した所です。その後安土桃山時代の天正18年(1590年)に徳川家康が入城して居城とし、文禄2年(1593年)に西丸を創建してからたびたび増築し、三代将軍家光の時代に、内城・外廊の規模がすべて整うこととなりました。すなわち本丸、西丸に吹上林泉を主要な部分として、二の丸、三の丸がこれに連なり、田安門内に西丸下の一廓が加わり、これに外廊を巡らした規模のすごく大きな城廓ができあがり、都市形成の中心となったものです。明治維新後、ここに皇居を移されて宮城となりましたが、城塁、櫓門、櫓など当時のまま残るものも少なくありません。現在の皇居の地は西丸の跡で、その正門は旧西丸大手門に相当し、宮内省の位置は旧紅葉山霊廟の地、二重橋前の外苑は諸侯邸宅の旧跡です。当時のままに残る本丸の城塁、宮城正門付近から参謀本部前の城濠に面した一帯の城塁と、城門に櫓などの建築物は、壮大な江戸城の遺構の一部です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
宮城(皇居)
かな
きゅうじょう(こうきょ)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
皇居は昭和23年(1948年)ごろまで宮城と呼ばれていました。
住所
東京都千代田区千代田1-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

江戶城址にあり、江戶城は長祿元年太田道灌の創築する所である。その後天正十八年德川家康入城してその居城となし、文祿二年に西丸を創建してから屢々增築し、三代將軍家光の時代に、內城外廊の規模が全く整ふに至つた。卽ち本丸、西丸及吹上林泉を主要な部分とし、二の丸、三の丸これに連り、田安門內竝に西丸下の一廓を加へ、これに外廊を廻した規模頗る宏大な城廓が出來上り、都市形成の中心となつたのである。明治維新後こゝに皇居を移されて宮城となつたが、城壘、櫓門、櫓などの舊時のまゝ存するものも少くない。今皇居の地は西丸の址で、その正門は舊西丸大手門に相當し、宮內省の位置は舊紅葉山靈廟の地に係り二重橋前の外苑は諸侯邸宅の舊址である。舊時のまゝに存する本丸の城壘、宮城正門附近より參謀本部前の城濠に臨む一帶の城壘と、城門竝に櫓などの建築物は、壯大なりし江戶城の遺構の一部である。

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