明治神宮外苑

明治神宮外苑
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

省線電車信濃町駅の西南、市内電車青山三丁目停留場の北、面積約50万m²(15万坪)、その大部分はもと青山練兵場だった処で、明治天皇の葬場殿がその北部に造営されましたが、後に明治神宮が代々木に鎮座するにあたり、その付近の地を含んでここに外苑が造られました。この外苑には葬場殿跡を記念するクスノキを植え、聖徳記念絵画館を建て、憲法記念館をここに移し、また陸上競技場、野球場、相撲場が設けられました。苑内に約3万5,000本の樹木があり、その樹種の主なものはケヤキ、シイ、シラカシ、赤松、黒松、ヒマラヤスギ、イチョウ、トウカエデ、山桜などです。まず青山口から入ればイチョウが四列をなして連なり、その左には遊戯設備の整った児童遊園があり、また天然記念物に指定されたヒトツバタゴの木がそびえています。この木は「なんぢゃもんぢゃ」とも呼ばれ、日本では対馬と濃尾地方にだけ自生する珍木で、約300年前に尾張から移植したもので、江戸時代には六道木といわれていました。樹の並木の終わる処から環状道路が左右に分かれ、中に広い芝生があり、その左には野球場、相撲場があります。野球場はグラウンド約1万4,000m²(4,000坪)、スタンド観覧席約3,000m²(1,000坪)、34段からなり収容人員8,700人、芝生観覧席約7,000m²(2,000坪)、収容人員2万2,000人におよびます。その付近にケヤキの並木があります。相撲場は敷地約7,000m²(2,000坪)、観覧者1万9,600人を収容する設備があります。相撲場の先の霞ヶ丘口を出れば苑外に日本青年館の巨館があります。環状道路の右にはエノキの大樹があります。これは青山練兵場での観兵式の際、玉座とされていたあたりを記念する木です。その先の権田原口を出れば憲法記念館があります。この建物はもと赤坂仮皇居内にあって、憲法制定の会議が行われた処で、明治天皇がおいでになったものです。その後伊藤博文に下賜され、一時市外大井町の伊藤邸内に移されましたが、博文の後嗣公爵伊藤博邦氏が明治神宮に奉献したものです。この館の先にはテニスコート予定地があります。さらに環状道路の右にトウカエデの並木があります。この道路の最奥部に囲まれて葬場殿跡があり、クスノキの巨木が植えられていて、その前に聖徳記念絵画館の大きな建物があります。葬場殿跡から道路を隔てて相対する樹林の間に模造の樺太国境標石が立っていて、これは第四天測地点にあるものをかたどったもので、樺太からの奉献です。絵画館の向かって左には環状道路の外に山桜の並木をめぐらして競技場があります。約3万4,000m²(10,400坪)の面積を占め、中央に楕円形トラックを設け、その廻周を400mとし、その一部を延長して造った200m直線トラックがあります。その東南北の三面は芝生傾斜地で、3万5,000人の観覧者を収容し、西面には鉄筋コンクリート造りの観覧席があり、1万2,000人を収容します。競技場の左にお鷹の松があります。徳川家光の放鷹の際にその鷹のとまった木を植え継いだものです。さらに競技場の右には水泳場の予定地があります。明治神宮内外両苑連絡道路はその付近から西北に通じていて、延長1,200m、その一部に延長900mの乗馬道があります。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
明治神宮外苑

令和に見に行くなら

名称
明治神宮外苑
かな
めいじじんぐうがいえん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都新宿区霞ヶ丘町1-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

省線電車信濃町驛の西南、市內電車靑山三丁目停留場の北、面積約五、〇〇〇アール(一五萬坪)、その大部分はもと靑山練兵場であつた處で、明治天皇の葬場殿がその北部に造營せられたが、後明治神宮が代々木に鎭座せらるゝにあたり、その附近の地を含んでこゝに外苑が造られた。この外苑には葬場殿址を記念する樟を栽ゑ、聖德記念繪畫館を建て、憲法記念館をこゝに移し、また陸上競技場、野球場、相撲場が設けられた。苑內に約三萬五千本の樹木がある、その樹種の主なるものは欅、椎、白樫、赤松、黑松、ヒマラヤシダー、公孫樹、唐楓、山櫻などである。先づ靑山口から入れば公孫樹が四列をなして連り、その左方には遊戲設備の整つた兒童遊園があり、また天然記念物に指定されたひとつばたごの木が聳えて居る。この木は「なんぢやもんぢや」とも稱し、わが國では對馬及濃尾地方に限り自生する珍木で、約三百年前に尾張から移植したもので、江戶時代には六道木と云はれて居た。樹の並木の終る處から環狀道路が左右に分れ、中に廣き芝生があり、その左方には野球場、相撲場がある。野球場はグラウンド約一四〇アール(四千坪)、スタンド觀覽席約三〇アール(一、〇〇〇坪)、三十四段より成り收容人員八千七百人、芝生觀覽席約七〇アール(二、〇〇坪)、收容人員二萬二千人に及ぶ。その附近に欅の並木がある。相撲場は敷地約七〇アール(二、〇〇〇坪)、觀覽者一萬九千六百人を收容する設備がある。相撲場の先の霞ケ丘口を出づれば苑外に日本靑年館の巨館がある。環狀道路の右方には榎の大樹がある。これは靑山練兵場に於ける觀兵式の折、常に玉座となつたあたりを記念する木である。その先の權田原口を出づれば憲法記念館がある。この建物はもと赤坂假皇居內にあつて、憲法制定の會議が行はれた處で、明治天皇の臨御あらせられたものである。その後伊藤博文に下賜せられ、一時市外大井町の伊藤邸內に移されたが、博文の後嗣公爵伊藤博邦氏が明治神宮に奉獻したものである。この館の先にはテニスコート豫定地がある。尙環狀道路の右方唐楓の並木がある。この道路の最奧部に圍まれて葬場殿址があり、樟の巨木が植ゑられて居る、その前に聖德記念繪畫館の大厦がある、葬場殿址より道路を隔てゝ相對する樹林の閒に模造の樺太國境標石が立つ、これは第四天測地點にあるものを形取つたもので、樺太よりの奉獻である。繪畫館の向つて左方には環狀道路の外に山櫻の並木を繞らして競技場がある。約三四〇アール(一〇、四〇〇坪)の面積を占め、中央に楕圓形トラツクを設け、その廻周を四〇〇米とし、その一部を延長して造れる二〇〇米直線トラツクがある。その東南北の三面は芝生傾斜地で、三萬五千人の觀覽者を收容し、西面には鐵筋コンクリート造觀覽席があり、一萬二千人を收容する。競技場の左方にお鷹の松がある。德川家光の放鷹の際その鷹のとまつた木を植ゑ繼いだものである。更に競技場の右には水泳場の豫定地がある。明治神宮內外兩苑連絡道路はその附近から西北に通じ、延長一二〇〇米、その一部に延長九〇〇米の乘馬道がある。

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