宇津峰城跡

宇津峰城址(雲水峯)
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

須賀川駅の東約1km、田母神行自動車で途中谷田川村鈴ヶ内下車、川を渡り、西南に向かい小径を約2km進めば鳥居に至り、それから急坂をよじ登って頂上に達します。頂上には周囲約50mにおよぶ方形の土塁が残り、そのなかに石祠が3社あります。ここを千人溜と呼びます。その付近に塹濠の一部が遺存します。それらがすなわち城砦の跡です。室町時代の興国元年(1340年)北畠顕信がこの城を拠点とし、常陸から逃れてきた宇津峰宮を奉じしばしば賊軍の攻略に堪えましたが、正平2年(1347年)城はついに陥り、顕信は宮を奉じて出羽に逃れました。その後同7年(1352年)再びこの城を回復しましたが、翌年賊軍の攻めるところとなってまた奥羽に去りました。この間前後14年にわたる吉野朝の史蹟です。

※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行

令和に見に行くなら

名称
宇津峰城跡
かな
うづみねしろあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福島県須賀川市塩田雲水峯
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東約一粁、田母神行自動車で途中谷田川村鈴ケ內下車、川を渡り、西南に向ひ小徑を約二粁進めば鳥居に至り、それより急坂を攀ぢて頂上に達する。頂上には周圍約五〇米に及ぶ方形の土壘を存し、內に石祠が三社ある。こゝを千人溜と呼ぶ。その附近に塹濠の一部が遺存する。それらが卽ち城砦の址である。興國元年北畠顯信がこの城に據り、常陸より逃れ給ひし宇津峰宮を奉じ屢々賊軍の攻略に堪へたが、正平二年城遂に陷り、顯信は宮を奉じて出羽に逃れた。その後同七年再びこの城を回復したが、翌年賊軍の攻むる所となつてまた奧羽に去つた。この閒前後十四年に亘れる吉野朝の史蹟である。

須賀川のみどころ