栗山堂

栗山堂
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

四国水電八栗の東北1km、牟礼村牟礼にあります。柴野栗山の誕生地で、旧宅跡には巨碑が建ち、生垣を巡らしています。堂は近年の新築となる宝形造の大きな建物で、そばに堂の由来を記した碑があり、堂内に栗山の木像を安置し遺墨、遺愛品を所蔵しています。栗山は名は邦彦、字は彦輔、尾藤二洲、古賀精里とともに寛政三博士と称され、勤王の志が深かった人物です。江戸時代中期の元文元年(1736年)ここに生まれ、天明8年(1788年)幕府昌平黌の教官となり文化4年(1807年)74歳で江戸で没しました。明治44年(1911年)従四位を贈られました。墓は東京市小石川区大塚坂下町にあります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
栗山堂
かな
りつざんどう
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
栗山記念館となっています。
住所
香川県高松市牟礼町牟礼3028
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同八栗の東北一粁、牟禮村牟禮にある。柴野栗山の誕生地で、舊宅址には巨碑が建ち、生墻を繞らして居る。堂は近年の新築にかゝる寶形造の大きな建物で、傍に堂の由來を記した碑があり、堂內に栗山の木像を安置し遺墨、遺愛品を所藏して居る。栗山名は邦彥、字は彥輔、尾藤二洲、古賀精里と共に寬政三博士と稱せられ、勤王の志が深かつた。元文元年こゝに生れ、天明八年幕府昌平黌の敎官となり文化四年七十四歲で江戶に卒した。明治四十四年從四位を贈らる。墓は東京市小石川區大塚坂下町にある。

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