鵜戸神宮

鵜戶神宮[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

宮崎駅の南約48km、南那珂郡鵜戸村宮浦にあり、海岸景勝の地を通じる自動車の便があります。

本宮の社地は速日峰の山麓幽邃の地を占め、社殿はその東麓の巨大な岩窟内にあって、彦波瀲武鵜鷀草葺不合尊を祀ります。社前は渺茫とした滄海に臨みいわゆる奇巌怪石が聳立し、昼夜怒濤が巌を打ち壮観を極めています。山上は祭神の御陵墓参考地で宮内省の管轄に属しています。

本宮の創建は遠く崇神天皇の御代にありと伝え、室町時代の永禄年間(1558~1570年)には領主伊東義祐によって再建されました。その後社殿はしばしば武家によって造替され、鵜戸権現と称していましたが、明治7年(1874年)鵜戸神宮と改称されました。現在の社殿は明治年間(1868~1912年)の造営になり拝殿、幣殿、本殿を具備し、いずれも朱塗の建築で華麗な彩色が施されています。例祭は2月1日。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
鵜戸神宮 鵜戸神宮境内図

令和に見に行くなら

名称
鵜戸神宮
かな
うどじんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
宮崎県日南市大字宮浦3232
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

宮崎驛の南方約四八粁、南那珂郡鵜戶村宮浦にあり、海岸景勝の地を通ずる自動車の便がある。

本宮の社地は速日峯の山麓幽邃の地を占め、社殿はその東麓の巨大な岩窟內にありて、彥波瀲武鵜鷀草葺不合尊を祀る。社前は渺茫たる滄海に臨み所謂奇巖怪石聳立し、晝夜怒濤巖を拍ち壯觀を極めて居る。山上は祭神の御陵墓參考地で宮內省の管轄に屬して居る。

本宮の創建は遠く崇神天皇の御代にありと傳へ、永祿年閒には領主伊東義祐によつて再建された。その後社殿は屢々武家によつて造替され、鵜戶權現と稱して居たが、明治七年鵜戶神宮と改稱された。現今の社殿は明治年閒の造營にかゝり拜殿、幣殿、本殿を具備し、何れも朱塗の建築にして華麗な彩色が施されて居る。例祭 二月一日。

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