宮崎神宮

宮崎神宮[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

宮崎駅の北約3km、花ヶ島駅からは西0.5km、市内神宮町にあり、宮崎および大淀駅から自動車の便があります。神日本磐余彦尊(神武天皇)を主神とし、鵜鷀草葺不合尊および玉依姫命を配祀しています。古来、神武宮または神武天皇社と称し、鎌倉時代の建久年間(1190~1199年)、地頭土持太郎信綱が宮殿を造営し、室町時代の文明8年(1476年)伊東祐国が社領を献じ、江戸時代前期の寛永21年(1644年)延岡城主有馬氏が宮殿の修理をし、江戸時代中期の元禄2年(1689年)有馬永純が社領を寄せ、江戸時代後期の文化10年(1813年)に延岡城主内藤氏によって宮殿の修造がありました。明治6年(1873年)5月県社となり、宮崎神社と称され、同年8月国幣中社に列し、同11年(1878年)宮崎宮と改め、同18年(1885年)官幣大社に昇格し、大正2年(1913年)宮崎神宮と改称しました。境内は広大で森厳を極めます。参道は一の鳥居から桜の樹が道を挟み花の時期は美観を呈します。例祭は10月26日。

神宮徴古館 木造、二階建、明治42年(1909年)の竣成で同年5月より開館、伝来の宝物の他伊勢神宮式年祭の御調度品、明治天皇御寄進太刀を初め、県内各所から発掘された石器時代ならびに古墳時代の刀剣、鏡、玉類、埴輪等の遺物が多数に陳列されています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
宮崎神宮

令和に見に行くなら

名称
宮崎神宮
かな
みやざきじんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
宮崎県宮崎市神宮2-4-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

宮崎驛の北約三粁、花ケ島驛からは西半粁、市內神宮町にあり、宮崎及大淀驛から自動車の便がある。神日本磐餘彥尊(神武天皇)を主神とし、鵜鷀草葺不合尊及玉依姬命を配祀して居る。古來、神武宮または神武天皇社と稱し、建久年閒、地頭土持太郞信綱宮殿を造營し、文明八年伊東祐國社領を獻じ、寬永二十一年延岡城主有馬氏宮殿の重修あり、元祿二年有馬永純社領を寄せ、文化十年に延岡城主內藤氏によりて宮殿の修造があつた。明治六年五月縣社となり、宮崎神社と稱せられ、同年八月國幣中社に列し、同十一年宮崎宮と改め、同十八年官幣大社に昇格し、大正二年宮崎神宮と改稱した。境內廣大森嚴を極める。參道は一の鳥居より櫻樹道を挾み花時は美觀を呈する。例祭は十月二十六日。

神宮徵古館 木造、二階建、明治四十二年の竣成で同年五月より開館、傳來の寶物の他伊勢神宮式年祭の御調度品、明治天皇御寄進太刀を初め、縣內各所から發掘された石器時代竝に古墳時代の刀劍、鏡、玉類、埴輪等の遺物が多數に陳列されて居る。

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