徳重神社
德重神社[縣社]
昭和初期のガイド文
伊集院駅の東北約440m、伊集院町徳重にあります。往昔は法智山妙園寺と称する禅刹で、島津氏の菩提寺でしたが、明治初年(1868年)廃仏の際、島津義弘の神霊を奉祀して、闔村の総廟としたものです。旧暦9月14日の祭典には、鹿児島市内の青年達が甲胃または陣羽織を着て、武器を携えて壮烈な行列を作り、約32kmの行程を夜を徹して当社に参詣する例となっています。世にいう妙円寺詣はこれです。義弘の関ヶ原の戦いにおける苦戦を記念するものであるといいます。境内は老樹が深い森となって、碧瓦朱欄を囲んでいます。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 徳重神社
- かな
- とくしげじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県日置市伊集院町徳重1786
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
伊集院驛の東北約四四〇米、伊集院町德重にある。往昔は法智山妙園寺と稱する禪刹で、島津氏の菩提寺であつたが、明治初年廢佛の際、島津義弘の神靈を奉祀して、闔村の總廟としたのである。舊曆九月十四日の祭典には、鹿兒島市內の靑年達が甲胃または陣羽織を着し、武器を携へて壯烈な行列を作り、約三二粁の行程を夜を徹して當社に參詣する例となつて居る。世に云ふ妙圓寺詣はこれである。義弘が關原役に於ける苦戰を記念するものであると云ふ。境內は老樹陰森として、碧瓦朱欄を圍んで居る。