石人山古墳

石人山(石神山)古墳
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

荒木駅の東南約6km、八女郡下広川村一条にあり、途中まで自動車の便があります。丘陵上を利用して築かれた前方後円墳で西面し長さ85m、土塁および濠跡が残り、後円部に頂上から2mあまりの下部に家形組合せの石棺が半ば発掘されたまま露出しています。長さ約2.5m、幅1m、高さ1mあまりあり、蓋の前、後ろに各々突起を有し、その前面の1か所には獅子頭等と呼ばれる人面様の彫刻がありますが当初のものであるか否かは明らかでありません。後面の屋根の傾斜面に直弧紋の彫刻が見られ、石室のヘギ石積の壁が残存しています。棺身の前面には方形の窓状入口を開いています。中央くびれ部のあたりにある覆堂のなかに円体石人が1個立っています。この墳にあった石人は安土桃山時代の慶長年中(1596~1615年)福島城築城の際運び去られたものが多かったといいます。古来岩戸山古墳とともに継体天皇の時代に討たれた筑紫国造磐井の墳墓であるという説があります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
石人山古墳
かな
せきじんさんこふん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県八女郡広川町一條1435
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

荒木驛の東南約六粁、八女郡下廣川村一條にあり、途中まで自動車の便がある。丘陵上を利用して築かれた前方後圓墳で西面し長さ八五米、土壘及湟址が存し、後圓部に頂上から二米餘の下部に家形組合せの石棺が半ば發掘せられた儘曝露して居る。長さ約二米半、幅一米、高さ一米餘あり、蓋の前、後に各々突起を有し、その前面の一箇には獅子頭等と稱せられる人面樣の彫刻があるが當初のものであるか否かは明でない。後面の屋根の傾斜面に直弧紋の彫刻が見られ、石室のヘギ石積の壁が殘存して居る。棺身の前面には方形の窓狀入口を開いて居る。中央くびれ部の邊に覆堂のうちに圓體石人が一個樹つて居る。この墳に在つた石人は慶長年中福島城築城の際運び去られたものが多かつたと云ふ。古來岩戶山古墳と共に繼體天皇の朝誅せられた筑紫國造磐井の墳墓であらうと云ふ說がある。

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